コロ9章第2話

コロ(小説)

「終わった」

 ――その瞬間、そう思わなかった者は、一人や二人ではあるまい。

 地響きのような悲鳴と歓声の真ん中で、秋菊イレブン――、とりわけ護が下を向いている。

「みんな、すまねえ、すまねえ!」

 誰よりも大きな体を、誰よりも小さくしうずくまり、護は謝罪を繰り返す。

「いいさ、あれが無かったらやられてた。お前のおかげで助かったんだ。お前は――、護は秋菊の守神だ。あとは俺か飛鳥井が決めるところを、ゆっくり見てろよ」

 成は、そう声をかけながら護をピッチから起こし、コート外へ優しく送り出した。泣きじゃくる護に、チームメイトとサポーター達から、暖かい拍手が起こる。なんと天照まで手を叩き健闘を讃えている。

 延長戦開始3分、秋菊中学にエマージェンシーだ。

 護が、二枚目のイエローカードで退場してしまったのだ。

 だが、これで彼を責めるのは、酷というものである。護が身を呈したファールのおかげで、ゴールを奪われずに済んだのだから。

「人数差の不利が明確に現れる前に、決めちまうしかねえぞ」

 声を落とし成にそう囁きかけるのは、飛鳥井雅である。

 これで秋菊中学は、地力で勝る相手に10人で挑まなければならなくなってしまった。

 サッカーという競技は、いかに人数差を作りだし、そこをつくかが本質である。であるのに元から人数差がある状態で戦うなど、結果は火を見るより明らかだ。

 後手後手に回る前に、点を取ってしまおうというのが、飛鳥井の言の指すところである。

 成はその言葉に頷きながら、「まずはこれを防げたらな」と答えを返す。

 その通り、まず相手側のこのフリーキックを防げなければ、その場で即負けなのだ。

 何故か?

 サドンデス――、「突然死」を意味するこの残酷なルールが、この県大会決勝戦でどういうわけか採用されているからだ。

 延長戦で、どちらかのチームが点を取った瞬間勝負が決するこのルールは、Vゴールやゴールデンゴールと名前を変え採用されていた時期があったが、近年お目にかかることはほとんどない。

 だが、神はどこまでも劇的な展開を望むのか、当たり前のことのようにこのルールで延長戦が始まった。

 コロはどうにか周りにいる神々に抗議しようとも思ったが、止めることにした。

 言っても無駄なことと、チームとしての実力で敵わない秋菊には、こちらのほうが有利だからだ。ラッキーゴールで勝利できる可能性がある。

 そんな自分の打算的な考えが、いけなかったのだろうか?

 守りの要である護を欠いた今、失点は時間の問題なのだ。

 あれこれ頭を悩ましている間に、審判の笛がなる。

 フリーキックが蹴られるのだ。

 生きた心地がしないコロは、ボールに宿ることを止め、成の中に戻る。

 山城中のウイニングボールになるのは、ごめんだからだ。

 その山城中のキッカーはといえば、当然U-15日本代表難波宗だ。

 彼は力の抜けた美しいフォームで、シュートの体制に入る。

「止してくれ、完璧すぎるじゃないか!」

 そのコロの叫びは当然難波の耳に入ることなく、完璧と絶賛されたフォームのまま、彼の右足は静止したボールに、芸術的な運動を加えた。

 爆ぜるように飛翔するボールの軌道は、成の上方を目指している。

 成に護ほどの上背があれば、触れること叶っただろう。

 だが全力のジャンプも虚しく、成の頭はボールに届かない。

 そのまま弧を描き、ボールはキーパーも触れられぬであろう、パーフェクトな場所へと飛んでいく。

 観客の歓喜と悲鳴がクレッシェンドしていき、臨界点に達する。

 なにせ、ダーツか何かと競技を間違えているのではないかと思うほど、その狙いは正確なのだ。

 しかし、競技を間違えている男がここにもう一人。

 彼は体操選手も真っ青な動きで空中に飛翔し、くるりと宙返りをする。

 その勢いを利用し彼の足は美しい弧を描き、高速の飛翔体をピンポイントで撃ち落としたのだ。

 さながらイージス艦の如き芸当が可能なのは、秋菊中にはただ一人、勿論飛鳥井雅である。

 飛鳥井流が難波流を、見事防いでみせたのだ。

 その後ボールは大きくクリアされ、秋菊中は絶体絶命のピンチを免れた。

「飛鳥井――、飛鳥井!」

 ベンチの護が号泣しながら何度も叫んでいる。

 それに呼応するように10万の秋菊サポーターも叫び出す。

 コロもそれは一緒である。

 試合中であればある程度自由に動いてもいいことを利用して、「飛鳥井!」と絶叫しながら、しばし飛鳥井にまとわりついていた。

 そうしていると――

「あそこに蹴ると思ったぜ」

 再びボールアウトになり、飛鳥井が難波に話しかけた。

「なんだと!?」

「逆に蹴っても点は入っただろう? もっとイージーにだ。けどお前は一番難しい所に蹴る。そう最初から読んでないと、あのクリアは無理さ」

 難波は苦々しげに飛鳥井を睨みつけ、口を開く。

「俺のプレイは読めるってわけか、雅。でもそれはこっちも同じことだ」

「ああそうだろうよ。なんたって従兄弟だしな」

 挑発しておいてあっさり認める飛鳥井に、難波は不思議そうな顔をする。

「なあ、あいつの下の名前、知ってるか?」

 突然話を変え、飛鳥井は成を指差し難波に尋ねた。

「藤原の? 知らないさ、一度対戦しただけだから」

「あいつな――」

 飛鳥井はこの試合、恐らく初めて正面から難波宗の目を見つめた。

「藤原成、っていうんだぜ」

 その名を聞き、難波は絶句する。

 世の普通の中学生にとって、成の名は取り立てて意味をなさない。

 だが平成の世になり今も尚、蹴鞠の流派を継承する家に生まれた彼らは違う。

 偉大なる「蹴聖」藤原成通の名を、重ね合わせずにはいられない。

「偶然だろう? それとも家がそういう家だとか? 俺たちみたいな……」

 敢えて「蹴鞠」や「蹴聖」といったワードを出さずに難波は尋ねる。

「ああ偶然だ。当たり前だ、俺もそう思ってた。今日のあいつのプレイを見るまではな」

 飛鳥井は、成の背中を見ながら話を続ける。

「あいつは取り立てて上手いわけじゃ無かった。でもこの一年で異常なほど伸び、この試合で更に化けた。俺もお前も、天才と言われたことがあるだろ? けどな、本当の天才はああいうやつのことさ。俺たちは、上手い奴の延長線上にいる。上手いと言われてる奴より上手い、それだけだ。けど藤原は――、藤原成は違う。違う道を別の次元で爆走しやがる。あいつは蹴聖の生まれ変わり、俺は本気でそう思ってるぜ」

 天才の言葉にコロは驚く。成が蹴聖の転生した身であることを知っている者は、人間では誰もいないのだ。成本人すら勿論知らないことを、飛鳥井雅は推測ではあるが見抜いてしまっているというのか。

「馬鹿馬鹿しい、ガキかよ? お前はそんなんだから――」

「蹴鞠で負けたぜ? 俺は昨日、あいつにな」

 飛鳥井が難波の否定を遮りそう言うと、ボールが動き出し、再び試合が再開した。

 コロは慌てて成の元に戻り、頭を切り替える。

 やはり人数差は如何ともしがたいものがある。

 簡単に攻め込まれる上、ボールも中々奪えない。

 必然、秋菊中学は守備的に回らざるを得なかった。

 成も飛鳥井もポジションを下げ、全員で守る。

 だがそれでも一方的に攻め込まれる。

 後半圧倒できたのが嘘のように、さながらサンドバッグの状態だった。

 このまま亀のように守り延長後半までも凌ぎきり、運の要素も強いPK戦に望みを繋げるしか、勝ち目はない。

 だがこれでは、それすら不可能なことのように思えてしまう。

 今、秋菊中学は、運良く生き残っているに過ぎない。

 1秒後、2秒後にゴールが決まってもおかしくないのだ。

 決まってしまえば負けである。

 サドンデスなのだ。

「突然死」という嫌なワードが、頭をよぎり離れない。

 ボールがこちらのゴールのネットを揺らせば、文字通り、本当に成が「突然死」してしまうのだ。

 嫌だ――。

 こんなところで終わるなんて。

 成の成長を、もっともっと見ていたい。

 成がサッカーもできないおじいさんになっても、ずっとずっと一緒に暮らしたい。

 どうしてもというのなら、代わりに自分の命を取ればいい。

 仮にも神である身の上なのだ、このちっぽけな命だって安くはないはずだ。

 ああ駄目だ。

 止めてくれ、そんなところに転がるんじゃない。

 そんな決定的なスペースに転がって、もしもそこに難波宗でもいようものなら――。

「止めてくれよ!」

 コロはそう叫びながら成の体から飛び出し、ボールに宿る。

 そのボールにこの状況で最悪の男、その難波宗が迫っていたからだ。

 コロはご法度であるはずの行為、即ちボールを動かそうと試みる。

 スポーツマンシップなど今はどうでもいい。成の命と、なんなら全人類の命がかかっているのだ。スポーツの神失格の誹りでもなんでも、喜んで受けてやろうじゃないか。

 だがボールはうんともすんとも動かない。

 当然である。

 そんな能力はコロには備わっていないのだ。

 コロの努力の甲斐もなく、難波は華麗なファーストタッチで自身の右1メートル前にコロを置いた。

「蹴聖だと?」

 ファーストタッチのその瞬間、コロは難波の心の叫びを聞いた。 ‘

 難波の幼少よりの様々な葛藤が、コロの意識に流入してくる。

 鞠を蹴る少年。

 蹴聖と書かれた掛け軸の前、叱責する大人。

 飛鳥井と思しき少年に蹴鞠で負ける、難波の姿。

 情報を吟味する間も無く、コロに難波の右足が猛然と迫る。

「ふざけるな!」

 それは彼の心の声か、それとも実際の叫びなのか。

 怒りをぶつけるかのように猛然と迫った難波宗のスパイクは、寸分のズレなくボールの真ん中を撃ち抜いた。

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