コロ第9章1話

ギター飯

3-4

 猛追を見せた秋菊中学は、成の更なる追加点により、一点差にまで迫っていた。

 だが時間がない。

 後半ロスタイム、残す所ワンプレー、これを外せば敗けというところで、飛鳥井雅の右足が一閃した。

 凄まじい勢い、そして絶妙なコースのボールをキャッチしてのけたのは、流石名門山城中の正GKである。この試合一番のビッグセーブだ。

 ――敗けた。

 誰もがそう思った。

 その時会場の超大型ビジョンに、CGで再現されたボールの挙動が映し出される。

 近年誤審を防ぐために導入され始めた、ゴールラインテクノロジーと呼ばれるもので、ボールがラインを割ったかどうか、つまりゴールの成否を、機械が正確に判定してくれるのだ。

 とんでもなく高価なもので、中学生の試合に導入されるなどありえない――、なんならJリーグですら未だ導入されていないほどの代物なのだが、それを言ってしまえばこのアマテラススタジアムの存在自体がありえない。

 そんなことより勝負の行方だ、と、選手も観客も食い入る様に、高解像度ビジョンの映像を見つめている。

 画面の中では飛んでいくボールがスローで動き、キーパーがキャッチした瞬間にそれは静止した。

 会場の二十万人は、水を打ったように静まり返り、皆一様にごくりと喉をならす。

 ボールがゴールラインを完全に越えていれば、秋菊のゴールだ。

 だがもしもライン上であったり、ボールの端が少しでもラインにかかっていれば、得点は認めらない。

 つまり敗けだ。

 画面からは、最先端の技術で選手の姿が取り除かれ、ラインとボールのみがクローズアップされる。

 その距離約1センチメートル。

 ラインから1センチメートルだけではあるが、確かにボール全体が完全にラインを越えていた。

 表示された「3」の数字がくるりと回り、「4」に変わる。

 4-4

 その瞬間、10万の歓喜と10万の悲鳴が吹き荒れる。

 飛鳥井の得点が認められ、この土壇場、ついに秋菊中学は山城中学に追いついたのだ。

 会場を埋め尽くす「飛鳥井コール」の中、成達は喜びに沸き、難波達は天を仰ぐ。

 そこでコロは、後半終了の笛を聞いた。

 試合は延長戦に突入するのだ。

 空には何台ものヘリが飛び、会場にもカメラを持った報道陣が、報道スペースに収まりきらんばかりに溢れている。客席から漏れ聞こえた情報によると、この試合の模様は、民放キー局全てが、競い合うように生放送しているらしい。

「そーれ、そーれ!」

 応援席では天照と田中アナウンサーが音頭をとり、全観客で巨大なウェーブを描いていた。

 敵味方関係なく、一糸乱れぬ人の作る波が、アマテラススタジオを何度もぐるぐると回っている。

 一方、空の上ではイザナギとイザナミが、大舞踏会を開催している。

 勿論人の目には映らないが、贅沢なフルオーケストラをバックに頭上で神々が踊っているなどと、一体誰が想像するだろうか。

 主役の選手たちはというと、延長戦に入る前、10分間の休憩中だ。通常は5分なのだが、この暑さだ。少年たちの健康に配慮して、10分のインターバルが取られることになった。

 ハーフタイムとは違いロッカールームに戻ることは許されないので、選手たちはピッチの脇にあるベンチで、延長戦に備える。木陰もあり屋外用の冷房まで完備されているので、心配はないだろう。

「いやはや、肝を冷やしましたな」

 隣から聞こえるその言葉に、コロは呆れる。

 なぜなら、思兼は汗一つかいていないではないか。涼やかな顔は、とても肝を冷やしていたようには見えない。

「おや、嘘をつくな、という顔ですな」

 コロの心を見透かして、老執事は優しく笑った。

「ですが誓って本当です。この手が震えるほど、肝を冷やしました。コロ様がこの試合に賭ける気持ちと同じくらい、私もこの試合に賭けているのですよ? ほら、まだ震えているでしょう?」

 そう言い示す思兼命の指先は、驚くことに確かに震えている。

 だがどうしてだろう、とそこでコロは首を捻る。

 そもそも思兼からすれば、この試合はどうでもいいことのはずではないか。

 成の命がかかっているコロとは違うし、サッカーが好きなのは天照の方であって思兼ではない。

 しかしこの試合では、主人である天照を放ったらかしでコロについている。

 そのうえ、様々な助言で献身的にコロをサポートしてくれた。思兼の言葉が無ければ、とっくにコロの精神は、混乱し、疲弊の末崩壊していたに違いない。

 ただの親切な神、というわけではないだろう。

 思兼の言う通り、彼には何かこの試合に賭けるものが、本当にあるのかもしれない。

 そこまで考えて、コロはハタと思い返す。

 そういえば、何故思兼は、コロの記憶を封印しておくという、回りくどいことをしたのだろう?

 確か先ほどそれを尋ねた時、今は話す時間が無いと言っていた。

 そこに彼の真の目的を紐解く鍵が、あるような気がしてならない。

 そう思いコロはストレートに尋ねてみた。今は時間があるし、何より延長戦の前に聞いておくべきだと、直感が告げている。

「ふむ、やはり話しておいた方がいいかもしれませんな。我々は一蓮托生なのですから」

 顎の下に軽く握った拳を置き、思兼は自分に言い聞かせるように、何度となく頷いた。

 一蓮托生――、如何を問わず行く末を共にする、運命共同体という意味だ。

 思兼もコロと同じくらい重大な懸案を抱えており、この試合の結果がそれに影響するということか。

 だが、高位の神が中学生のサッカーにかけることとは何だろう?

 まさかコロの様に、大事な人を人質に取られているわけではあるまい。

「では、少々長くなるので一方的に話します。分からない所は、そういうものかと思ってください。嘘や誤魔化しは無いと約束します」

 見せたこともないほどの真剣な目に、コロは思わずたじろぎそうになる。

 だが、やはり聞いておかなければならない話なのだ。

 コロは勢いよくコロリンと頷いた。

「まず私のことについて話さねばなりません。私の役目は数多存在しますが、何をおいても最重要というものがあります。おわかりですな? そう、姫が天岩戸に隠れること、その防止、そして阻止です。私は太古よりその役目を担って参りました。その最初の成功は、「天岩戸伝説」という神話として人間の世にも伝わっております。そして私は「思慮を兼ね備えた神、思兼命」として讃えられました。私の英知があれば、姫は未来永劫岩戸の中に引きこもることなく、燦々と輝き、人々に豊穣を与え続けるだろう――、そう神々は私を持てはやしました。しかしそんなことはとんでもない、私は度重なる姫の引きこもり未遂に、もはや限界を感じていたのです」

 思兼は目を細め、照りつける太陽を見上げた。

「そんな折、西暦645年、人間の世界では「大化の改新」が興りました。その時この国に初めて誕生したものが一つあります。そう、元号です。これは非常に便利なものでした。人々の意識が神力を生み出し、時代時代の楔となりました。分かりにくいですか? まあ、時代時代のチェックポイントといったところでしょうか。それができたというわけです。この、人々の共通意識が生み出すパワーに目をつけた私は、新たな試みを始めました。自分の体をいくつかに分けたのです。そして大化より始まった元号ごとに自らを振り分けます。その時代ごとの担当者を決めたのです。彼らは私であり、私は彼らです。各々に自己を持ちながら、ただ一つの目的の為に存在し、行動します。些か自虐的に言えば、誰も自己を持たない存在、と言い換えることもできるのかもしれません。さて、目的とは、もちろん姫の岩戸隠れ阻止です。もうこれ以上は手立てがないと、諦めかけていた私でしたが、自らを分け各時代に置くことは、非常に目覚ましい効果がありました。それは過去の改変です。過去が変われば、その未来である現在も変わる。私は緊急事態に陥ると、過去の年号に存在する自分に連絡し、過去を変え、姫が引きこもる原因を取り除きました。もしくは姫が興味を持つものが存在するよう、過去の自分にそれを「しこませ」ました。そして新しい元号が決まるとまた自らを分け、片方はその時代に留まり、もう片方は次の時代に進みました。連絡手段は社を使いました。あれは私にとっては公衆電話のようなものだったのです。もっとも近代にいる思兼である私は、これがあるのでより一層便利ですな。社を訪れる事なく連絡がとれます」

 そう言うと、思兼は懐からスマートフォンを取り出し、こちらに見せた。

「現代と違い、昔の元号は平均して4、5年に一度変更されてきました。変更は、大きな天災や政治的イベントが起こった時に行われやすかったため、世の中が変動する節目になることも多く、過去を変えるための「しこみ」には、大変都合がよかった。私が作り出したシステムは、手前味噌ながら完璧といってよかったでしょう。表には出しませんが、私は浮かれていました。現在に到るまでの元号の数は247。つまり246個もの、過去を改変できるポイントがあるのです。対応できぬことなど無くなりました。これこそが思慮を兼ね備えた神、思兼命である――、心のどこかでそんな風に思ってしまいました。なんと愚かな老人なのでしょう。千年と少しの成功に酔いしれ、日輪の化身である天照大神を軽んじたのです。そんな私に罰がくだりました。神に罰(ばち)が当たるなど滑稽も甚だしい。平成の世、突如姫が御隠れになられ、世界は滅亡したのです」

 コロは首を捻り過ぎて、もはや捻転死しそうである。話が飛躍しすぎて全くついていけない。最後の言葉に至っては、理解不能の一言に尽きる。

「滅亡したって、そんなバカな。だって今、世界は正常に動いているじゃないですか? 僕も成も皆も生きている。まあ今、この状態は異常だけど」

 ウェーブに狂う観客を横目に、コロは話の矛盾を訴える。

「信じられないのも当然です。しかし確かにこの星は光を失い、凍り、全ての生命が生き絶えました。そして私も絶望の中消えていった、――その筈でした。ですが次の瞬間、気付けば私は蘇我入鹿(そがのいるか)が中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)に殺される、乙巳の変その場にいたのです。

そうです、西暦645年、大化の改新の興りである、大化元年です。私は混乱しました。一体何がどうなっているのかと。神である身の私が、夢でも見ているのだろうかと。だがどう考えても夢などではなく現実です。みっともなく狼狽しながらも、なんとか思考を巡らしました。まず考えたのが、今が誠に大化元年であるのなら、分裂していた私たちはどうなっているのか、ということでした。何かの作用で時代がリバースしたのなら、彼らは存在しないはずです。私が元号を利用したシステムを模索しだしたのは大化三年だったのですから。社へ着いた私は驚きました。社から平成の私へ連絡が取れるではないですか。そして平成の私は驚くべきことを言いました。なんと「突然次の元号へ飛ばされた」というのです。つまり大化にいる私が話していたのは、昭和担当から平成担当に変わった私だったのです。ああ、ここは特にややこしいポイントですな、大丈夫ですか?」

 コロは、頭から煙を出しながら、かろうじて頷く。

「では続けます。大化の私は全ての私に連絡を取りました。すると皆一様に平成の私と同じことを言うのです。つまり皆、担当する時代が一つ先の元号に、突然「ズレた」というわけですな。大化の私は平成の私に、私が平成担当だった時の結末を伝えました。そして無事次の元号に移ることができたら、そちらから必ず連絡するように、と約束しました。けれど連絡はありません。そしてある時、大化にいた私の担当元号も「ズレ」ました。なんと私は、大化の次の元号である「白雉」担当になっていたのです。未来の私達も、全員同じくズレていました。もしやと思い私は、過去であり一つ前の元号であった、大化の私に連絡しました。大化の私は新たに白雉担当になった私の予想通り、こう言いました。世界が滅亡したと思ったら、自分は大化にいるのだと。自分は平成の担当であったはずなのにと。そして元々は昭和の担当だったはずなのに、と。それを聞き、ようやく自分たちに起きている事態が掴めてきました。そして私は私たちと相談し、ある結論に達しました。まず、平成の世を最後に、この世は滅亡するのであろうこと。そしてその死の間際、平成の私は自らを生み出し、その生み出した自分を大化に配置するのであろう、ということです。使命を全うできなかった悔恨が、本能的にそれを行うのでしょう。さてそこからは、平成の世を滅亡させない為に、全員で知恵を絞りました。しかしその甲斐なく、私達の担当する元号はズレていきます。つまりその度に平成の世は滅亡しているのです。二百数十回の滅亡を経て、ついに私は平成担当に戻ってきました。ですが結果はあっけないものでした。前回の雪辱を果たすことなく、又しても私は死に、大化に戻ることとなります」

「ええと、私は私で私に言った私は私?」

 難しすぎて、もはやお手上げだ。

 コロの頭の中で、247人の思兼が「私は私に私だと――」と話している。

「まあちゃんと理解できるのは、当事者である私くらいでしょう。私以外の他の者が聞けば、「矛盾しているのでは?」と思う点が多々でてくることも、確かに理解できます。ですが間違いなく、これは実際に起きている現象なのです。先程も申し上げた通り、そういうものと思ってください」

「うむむ、そんなこと言われても……」

「こう考えれば分かりやすい。私は西暦645年からこの平成までを、ぐるぐるぐるぐる、何周も回っているのです。そして平成の世で世界が滅びれば、また西暦645年に帰る。そう、この会場のウェーブのように」

「あ、ちょっと分かったかも」

 会場をぐるぐる回る観客が作るウェーブを見て、コロは少しだけ具体的に理解できた。

 あくまでほんの少しだけ。

「己の無能を知り心を入れ替えた私達は、平成の世を抜ける為に様々な試みを施しました。といってもその根本にあるものは一つだけ、とにかく姫の気を惹く、ということです。幼稚なようですが、できること、そしてやるべきことはそれしかありません。姫が平成の世に飽きて、岩戸の中に引きこもらないようにするより、世界を滅亡から救う方法はないのですから」

「あいつ、本当に迷惑なやつだったんですね」

 コロも、今度という今度は本当に呆れてしまう。飽きて滅亡させられる者の身にもなれ、というものだろう。

 だが驚いたことに、当の思兼は頭を振る。

「こう聞くと、姫が邪悪な存在に思えてしまいそうですが、それは全く違います。あの方は全ての人間にとって正に太陽であり、姫以外の神々にとってもそれは同じです。全ての源である、全き尊い存在なのです。そして姫は心の底から人々を想い、慈しんでおられます。そうでなければ、これほどの恵を与えられますまい。現に今までの滅亡は全て、天照様の意志ではありませんでした。こんなことをしたいわけではない、これは自分の本意では無いと、死んでいく私の手を取り泣いておられました。本当はお優しいお方――、そう以前言ったことは、決して嘘ではないのですよ?」

 再び思兼は、頭上の太陽をまぶしそうに見つめた。

「あれほど高位に立つ神の心を、推し量ることは不可能です。そのようにできている存在、と言えばいいでしょうか。人間からすれば理不尽に聞こえるでしょうが、姫を失望させてしまう世を造ってしまったことがいけないのです。そしてそれは私の責任です。次の元号に繋ぐべき平成の世を、姫は私を使い、何度も創り直させているのかもしれません」

 コロは応援席で子供の様にはしゃぐ天照を見やる。

 ああしていれば、普通の女の子だ。あれが太陽そのものだと、一体誰が気付くだろう。

 だが思兼の言うことが本当なら、その小さな胸の中に、誰にも理解できない何かを抱えているのかもしれない。

「さて、私達思兼は、昭和平成で多くの娯楽を作り出しました。天照大神は、人がたくさん集まると居ても立っても居られない、という習性があります。ですのでとにかく人を集めました。東京オリンピックの誘致に成功し、そのノウハウを利用して万博を誘致し、岡本何某という芸術家に、シンボルとなる仏像を作るよう依頼しました。できたのは変わった塔でしたが、十分な神力を持つその塔は、大いに人々を引き寄せました。姫の神力を十分に吸っていた、月の石も同様です。大気の存在しない月の表面は、姫に炙られているようなものですからな。更に千葉の方には、ネズミをモチーフにしたキャラクターが踊る、テーマパークを作りました。海外の神にロイヤリティを払わなければならないのがネックですが、これも人気で毎日の様に行列を作ってくれます。次に京都で花札を作っていた会社にテレビゲームを作らせ、世界的なブームを起こしました。配管工がキノコを食べると巨大化し、その力をもってお姫様を助けるという奇怪なものでしたが、売れましたな。しかしあまり姫のお気に召さなかったので、RPGというジャンルのゲームを作りました。これもヒットし、姫も大変気に入りました。「育てる」という要素が、豊穣を与えたもう身である姫と、性に合ったのでしょう。ですが、これに余りに夢中になりすぎて、引きこもりを促進しかねない事態になりました。ですので携帯型ゲーム機を開発させました。付随して携帯型カセットプレイヤーや使い捨てのインスタントカメラなど、外で楽しめるガジェットも充実させていきます。グラデーションの美しいスポーツシューズを流行らせ、行列を作ったこともありましたな」

 コロも知っているものばかりである。最後のスポーツシューズなどは、追い剥ぎが続出するほどの人気だった。履いて歩いていると、脱がされ奪われるのである。

 それらを生み出したのが目の前の老人だとは――、コロは無い口が開いて塞がらない。

「平成初期は、テレビのエンターテイメントに力を入れました。まず昭和のうちに、兵庫県の二人の少年をピックアップし、笑いの神を宿らせます。そして圧倒的力を持ったこの二人組のコメディアンに音楽番組を持たせ、これに出演したミュージシャンは必ず売れるという構図を作ります。それは成功し、数々のバンドやアイドルが人気を得、一夜で20万人を動員する巨大なライブを成功させました。このコメディアン自身も歌をリリースし、記録的ヒットをおさめました。バンドブームが収束すると、次は若い娘を大量に集め、姫をプロデューサーに仕立てたました。「CDに握手券をつけましょう」という姫の提案は当たりました。さすが行列が好きなだけある。この策は、ミリオンヒットと大量の行列を生み出しました。これは現在も大変人気があります。ゲームの進化は留まることを知りませんでしたが、内容は似たり寄ったりのものが増えました。ただ映像が綺麗になっていくだけで、やってることは昔と変わらない、というわけです。これでは姫が飽きてしまう、頭を抱えた私たちの前に、救世主が現れました。それがこの、ポカモンGOです」

 思兼は自らのスマートフォンの中で「ポカモンGO」を起動させ、コロに画面を見せる。

 液晶の中では思兼命そっくりなキャラクターが、可愛らしいモンスターと並んでいる。

「あんたもやってたのかい!」とはつっこまない。そろそろ時間が無くなってきたのだ。

「海外の神が開発してくれたスマートフォンと、それで遊べるポカモンGOは、全くもって革新的でした。ゲームとして斬新で新しいうえに、外に出なければ遊べない。「外でも遊べる」が売りであった携帯ゲーム機とは、完全に別物だったわけです。私は、弟君スサノオ様の妻クシナダヒメ様に連絡をとり、このゲームに姫を誘ってもらいました。一人でプレイするよりも、楽しみを共有できる者がいる方が楽しいですからな。それは成功し、姫が引きこもる可能性は大幅に減りました。私達思兼は、これを平成救済の柱に据えようと考えました。コンテンツを充実させ、飽きることのない様アップデートを繰り返す。しかし姫が一番興味を示したは別のものでした。2018年6月、何かお分かりですね?」

「ワールドカップ!」

 サッカーボールの神なのだ、この時期と問われればこれ以外にない。

「左様でございます。2018年のワールドカップ、これほど姫が熱狂したものはありませんでした。私達思兼が死と再生を繰り返す時の中、平成の始めに戯れに設置してみたJリーグ――、これが日本のサッカー全体の底上げになり、ワールドカップ日本代表のあの健闘に繋がったのです」

 ようやっとサッカーの話題になるようだ。コロは少しホッとする。サッカーの話ならついていけるかもしれない。

 しかし、Jリーグ設立にもこの執事が噛んでいたとは、驚きである。

「サッカーに全力を注ぐと決めた私達はまず、2018年のワールドカップの優勝を目指しました。しかしこれは何度やっても不可能でした。開催場所がロシアであることと、海外にはサッカー専門の神が数多いたことがネックになりました。高位の神は自国領土外での神力が制限されるのです。スポーツに関わる神はさほど高位ではないので、自由に活動ができますが、前述した通り日本にはサッカー専門の神はおりません。その時点でコロ様を生み出すことも考えたのですが、止めました。2018年のワールドカップで勝つことが、不毛なことに思えたのです。そもそも姫がサッカーにハマったのは、あの敗戦があったからではないか、と思ったのです。そこで私達は計画の方向を転換します。サッカーに、姫の好きな育成要素をプラスしようと考えたのです。そして失礼ながら、もはや用済みとなっていた鞠の精霊アリを、サッカーボールの神に転生させ、有能な少年を選びその教育係とする、というプロジェクトが発足したのです」

「それで僕は成と再開したんですね?」

「いいえ違います」

「ええっ?」

 自信満々で導き出した答えを即座に否定され、コロは素っ頓狂な声をあげた。

「我々思兼が目をつけたのは、難波流と飛鳥井流という蹴鞠の流派でした。本来難波流は時代の流れとともに途絶えていたはずでした。私達は過去を改変し、この流派を保存することにしたのです。そしてこのサッカープロジェクト、最初に白羽の矢が立ったのは、難波流の中でも突出した才能を持つ、難波宗でした。

その彼にコロ様が宿る。最強のサッカー選手が生まれるはずでしたし、事実そうなりました。ですが、見ていてまったく面白くない。サッカーの名門山城中のスタメン達と、より巧く速く強くなった難波宗です。かなう相手など皆無のまま、あれよあれよと優勝してしまいました。これに姫が熱狂するはずもありません。コロ様もあまり役に立っていませんでしたな。そういうわけで早々にサッカー熱は冷めてしまいました。そして世界は滅亡し、また別の方法を模索します。次は分家であり飛鳥井流を継承する、飛鳥井家の飛鳥井雅、

こちらの様子をのぞいてみると、彼はその才能に見合わない、弱小チームに所属しているではないですか。弱いチームを引っ張る天才、これはドラマを生む可能性がある。そう思いまたコロ様に宿ってもらいましたが、これもダメでした。彼の体は、自らの才能とコロ様より得る力に耐えられませんでした。故障してしまうのです。チームメイトであった藤原成も、凡庸な少年であり、試合では力にはなれませんでした。飛鳥井雅がチームを一人で引っ張らなければならない状況も、その故障の要因だったでしょう」

「なんですって。そんなボクはボクじゃない。ボクってやつは、なんてボクなんだ!」

 宿主を故障させてしまうなんて、いつかのボクはとんだバカじゃないか。

 コロは、腕さえあるなら自分を殴りたい気持ちになる。

「いえ、コロ様のせいではありません。あの時あなたには、直向きに頑張る飛鳥井雅を止める術はなかった。そういうわけで秋菊中学は、地区予選通過すら叶わず、敗退することになりました。またも世界は滅亡を迎えました。それが一つ前の世界で起こった結末です。その時、昭和担当だった私が平成担当にズレ、現状最新の世界、つまり「今この世界」が始まりました」

「遂に成に目をつけたんですね? もう、最初からそうしておけばよかったのに!」

「いいえ、それも違います。次に目をつけたのは飛鳥井雅のチームメイト藤原成、ではなく、その隣の護という少年でした。サッカーセンスがそれなりにあり、体格も威勢もいい彼は、主人公気質といってよいでしょう。三度鞠の精霊アリを、姫の力で神に変え、この計画は始まりました。さて、やっとコロ様の質問に答えられます。質問は、何故鞠の精霊アリの記憶を封印したのか、でしたね?」

 その問いにコロは頷く。何故成になかなか目を向けなかったのか、という不満はあるが、とりあえず先を聞くべきだろう。

「まあ、それほど勿体ぶることではないのですがね。目的はあなたの弱体化です。天照大神の生み出した神であるあなたは、序列最下位であるにも関わらず、強力すぎたのです。それ自体は悪いことではありません。ただ私からすれば致命的なことが起こります。試合前に「裏技禁止」の話はしましたね? そう、あなたは裏技そのものだった。まあ簡単に言うと、見ていて「面白くない」というわけです」

「そんな! 別に面白くなくてもいいじゃないですか!」

「いいえ、いけません。私の目的は、あくまで姫に楽しんでもらうことなのです。サッカーに興じることが目的ではありません。神である私の使命への価値観と、スポーツにおける倫理観が相入れることはないでしょう。ですが聞いてください」

 コロは憤りを隠せない。これでは皆、ゲームの駒ではないか。

「お怒りになるのは当然です。ですが私には使命があった。それを果たすため、姫とコロ様とで、護少年の合宿の場へ向かいます。そうです、あの始まりの丘です。事前に飛鳥井雅を遠ざけていたので、彼はあの合宿地におりません。済し崩し的にコロ様は護少年に宿る、というのが今世のストーリーでした。しかしその時、ふと目に止まった少年がいました。そう、それが藤原成です。

彼のことは勿論知ってはいました。飛鳥井雅のチームメイトでしたから当然です。目立つことは無かったが、心の綺麗な少年でした。前回の失敗の折も、彼は、怪我の中苦しむ飛鳥井雅を、献身的にサポートしていた。何となく彼の系譜を辿ってみれば、平安の時代に権勢を誇った、あの藤原一族の系譜ではないですか。そこで私は過去の私に連絡し、藤原一族の中でも特に蹴鞠が好きだった、藤原成通を見つけます。覚えておられるでしょうか? あの時私はどこかへ電話をかけていたはずです。あれは飛鳥井雅を探していたのではありません。平安時代、天永の元号担当の私を通じ、鞠の精霊アリに、成通を鍛えさせていたのです。その時点では藤原成通は、只の蹴鞠好きのボンボンでしたからな。蹴聖などという存在も、その言葉すらもこの世にありませんでした。さて、こうして蹴聖は、平安の時代に誕生しました」

 800年前、突然猿の中に押し込められたのは、こういう事情があったのか。

「すると微々たるものではありますが、変化が起きました。藤原成がチームのキャプテンになっていたのです。前回までの世界で彼は、3年生になってもスタメンになれない補欠でした。薄まったとはいえ蹴聖の血は、彼を中の上程度の選手に、その実力を引き上げていたのです。それを確認した時、私の身にも変化が起きました」

「思兼様の身にも?」

「ええ、なんと私の心はワクワクと踊っていたのです。ここに記憶を失くした鞠の精アリを、放り込んだらどうなるのだろうと。平安時代、鞠の精アリと接点をもった事実が私の中にできることによって、私自身にも何か変化があったのかもしれません。とにかく私は自分自身の心音に、驚きました。胸が高鳴ることなど、普通であれば当たり前のことのように思うはずです。ですがそれは私にとって、とうに忘れた筈の感覚でした。なにせ私は、もう一万回もこの失敗を繰り返しているのですから」

「いちまんかい!」

 もし人間であれば、コロの目玉は飛び出していただろう。

 一万回――。

 思兼は西暦645年から現在までを、一万回繰り返しているのだ。247人いる思兼がそれぞれ一万回ずつ繰り返しているのなら、247万回も、この世界は滅びていることになる。

「ええ、一万回――、そしてこれが、1万と1回目の平成の世です。私の心は乾いていました。神であるこの身故、時の長さはそれほど苦痛ではありません。しかし神にも感情はあります。私はどこか事務的に、物事を進めていたのでしょう。次へ繋げる為の情報収拾、そんな風に思っていたのかもしれません。そんな折、唐突に湧いた胸の高揚に、私は願わずにはおられませんでした。少しでも長く、この感情に浸っていたい、と」

 思いがけぬ神の吐露に、コロはかける言葉が見当たらない。一番苦しんできたのは、彼なのだ。ゲームの駒ではないと憤る自分の、なんと小っぽけなことか。

「そしてコロ様があの丘で、自ら藤原成を選んだ時、私の心は快哉に叫んでいました。そして決めたのです。ここからは、只の傍観者になろうではないかと。必要最低限の助言に留め、あなた方の行く末を見守ろうではないかと。一万回も繰り返してきたのだから、一度くらい手綱を放してみてもいいのではないか、と」

 思兼はビジョンの横にある巨大な時計をちらりと見る。延長戦開始まで、もう3分もない。

「唐突に世界の滅亡を招くコロ様の言動にハラハラしながらも、全く先の読めない展開を、私は密かに楽しみました。するとどうでしょう、予選にはスサノオ様とクシナダヒメ様が現れるではないですか。過去一万回の歴史を見渡してもこんなことはありませんでした。そしてこの決勝ではアマテラススタジアムが現世し、都道府県が改竄され、さらにイザナギ様とイザナミ様まで降臨しました。そしてこの観客のウェーブは神への祈祷を行う神事といってよい。これは、永く書き加えられることのなかった神話に、新たなページが増えたに等しいのです。今日が世界滅亡か否かの分水嶺であることは、もはや間違いないでしょう。そしてそのまさに土壇場で、コロ様と藤原成、あなた方が覚醒したのです」

 老執事はおもむろにコロを軽く蹴り上げ、器用にリフティングをする。

 神であるこの老執事のサッカー力は、コロにすら計れないが、相当に上手いことだけは分かる。

「興奮した私は思わず過去の姿に戻り、叫んでいました。まったく、あなた方は素晴らしい。老いた執事の姑息な計画など、必要なかったのです。思えば、私自身が楽しめない世界を、どうして姫が楽しめましょう」

 頭の上でコロをピタリと止めてみせ、そのままバランスを取り落とさない。

「で、でも、僕がアリの記憶を持つと「面白くない」んじゃあ?」

 そう言うコロの声に答えるように、思兼はコロを頭から足の先に華麗に移し、また止めてみせる。

「それはタイミングというものでしょう。この土壇場というのはベストです。むしろあのまま眠っているようでしたら、それこそブーイングです。今世のコロ様は、どうして中々「もって」おりますな」

 有名サッカー選手の口癖を引用し、思兼はニコリと笑う。

 彼はまたポンと足先でコロを宙に浮かべ、今度はその手の平の上に乗せた。

「ここまでが嘘偽りの無い真実です。哀れな老人の懺悔といってもよいかもしれません。コロ様にとってはお怒りになられて当然な話が、随分とあったかと思います。私はコロ様と藤原成、そして鞠の精アリと藤原成通の運命を、都合よく弄んでいるに等しい」

 コロは、思兼の真っ直ぐな瞳を真っ向から受け止め、コロコロと体を横に振る。

 当然だ。

 果てのない試練に懸命に抗う彼を、どうして責められよう。

「もういいんです。考えてみれば、思兼様がいたからこそ、僕は成にも成通にも出会えたんだ。だったら感謝するしかない」

 幾分安心したかのように、老執事は息を吐き出す。

「そう言っていただけると、幾分胸のつかえがとれるというものです。ああ、延長戦が始まってしまいますな」

 ビジョンに映しだされたタイマーは、残り1分を切ったことを示し、秒読みの表示に変わる。

「今日勝つことができれば、平成の世を越えられる可能性は非常に高いと思います。逆に負ければ、今日をもってこの世は終わりを告げるでしょう」

「でも、会場はこんなことになっているとはいえ、中学生の試合ですよ? それが世界の命運を左右するだなんて……」

「いえ、間違いありません」

 思兼はきっぱりと首を振る。

「先ほども申し上げた通り、今日が世界滅亡か否かの分水嶺です。何故なら過去247万回、姫が岩戸に御隠れになり人類が滅びたのは、全て今日、西暦2019年7月10日なのです」

「今日? 今日って今日のこと?」

「そうです。人類が7月11日に到達したことは、一度としてありません。ですので秋菊中学が試合に敗れ藤原成が死去したとしても、実はそれは数時間の差でしかないのです。どのみちこの世は滅びてしまうのですから。むしろ、世界終焉の混乱や恐怖といった苦しみを味合わないだけ、マシといえるでしょう」

「そんなバカな……、あっ、でもさっき、天照は神力制限がかかったって……」

「それも関係ありません。天岩戸に隠れるということは、天照大神がこの世に与える豊穣を遮断する、つまり神力を行使しないということなのです。そもそも神力制限も、姫が光を与える神力までをも使いすぎないように設けられた、ブレーカーのようなものですから」

 隠れる分には神力は必要ないということか。

 むしろ、彼女が自然と放つ神力が遮断されてしまう方が、問題なのだ。

「もはや疑う余地はありません。見えませんか? 今この会場に万を越えるほどの、高位の神が集結していることを!」

 思兼はそう言うとコロを頭の上に掲げ、ゆっくり回る。自然と会場を、ぐるり大きく見渡すことになる。

「あっ、あれは!」

 よく見れば会場には、明らかに神の類だと思われる者が多くいるではないか。ぼんやり皆光っているのだ。

 そしてその中に、以前見た顔も見つける。

「クシナダヒメ! それにスサノオも!」

 純白に光る美人が、客席からこちらに手を振っている。

 隣のスサノオは、暴れ出さないためだろうか、椅子に縛り付けられ猿轡を咬まされている。

「そうです、今日が新たな神話の生まれる日なのです。今日まで残り語られる神話は、全て歴史の特異点を、語り継ぎやすく物語にしたもの。見事世界の滅亡を回避し、その後数千年の時が流れれば、今日のこともまた神話として語り継がれることになりましょう。主役は胡炉玉命(コロタマノミコト)と蹴聖藤原成のダブルキャストです。ま、よもやサッカーとは語られますまい。藤原成が胡炉玉命を穴、――つまりゴールですな――、に蹴り入れる、といったお話になるでしょう」

 突然神話の主人公になると言われ、コロはブルリと震える。

 そんなことにはとんと興味がないが、成と一緒であるなら、それも悪くない気もする。

 それになによりも、それは成の救済を意味するのだ。やってやろうというものだ。

「よーし僕ったら、成も世界も救っちゃうんだから!」  そう叫び跳び上がった瞬間、延長戦開始の笛が鳴った。

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