コロ第8章1話

コロ(小説)

『これでもう、君に教えることは何もない。免許皆伝というやつだよ、成通(なりみち)』

『偉そうに言っちゃって。何もないもなにも、そもそも教え過ぎなんだよ。頭と体が壊れるかと思ったよ』

『そう言うんじゃないよ。おかげでここまで上達したんだ。まあ、本当に清水の舞台の欄干を、蹴鞠しながら往復するとは思わなかったけど』

『ふふん、あれは見事だったなあ。公家(くげ)たちの驚く顔といったらなかった』

『おやまあ、君はおだてるとすぐに調子にのる。水を知る者は水に溺る、というだろう? 蹴鞠の方は問題ないが、その性格が心配だ。成通には、もう少し礼儀作法も叩き込むんだったなあ』

『猿が何を言ってるんだよ。蹴鞠どころか礼儀まで猿に教えてもらっては、藤原家の名が泣くってもんだ』

『猿、猿って馬鹿にするなと言ってるだろう? 何が藤原家だ。それをいえばボクなんて、鞠の精霊夏安林(アリ)様だ。偉いんだぞう!』

『鞠の精霊って言われてもなあ。偉いんだか大したことないんだか。それにどこからどう見ても、アリは猿だよ。手も足も見てみなよ? 毛むくじゃらじゃないか。鞠の形をするとか、もっとそれらしい工夫をしろよな』

『ムキー、また猿って言ったな? だいたい鞠の形で鞠の精なんて、そのまま過ぎるじゃないか。猿の見た目で実は精霊ってところが味噌なのさ。それに君は今、猿の言葉でしゃべっているんだよ?』

『なな、なんだって?』

『ふふふ成通、君はここに来ると、言葉使いが普段と違うと、首を傾げていたね。普段「僕」なんて言わないのにと。それはね、君が猿語で喋っているからなんだ。人が見たら不思議に思うだろうね。猿とキーキー喋りながら、蹴鞠を蹴る狂人がいるって』

『う、嘘だろう。じゃあ今この言葉も、猿のものなのかい?』

『そうそう、その通り。はたから見れば「キキキキー」と聞こえるだろうね。もっともここに、人間は君以外入れない。まったく幸運だったね』

『なんてことだ。でもなんだよ。ということはやっぱりアリは猿なんじゃないか』

『違う違う、猿の言葉を喋る、鞠の精霊だ』

『違う違う、蹴鞠の上手い、菓子好きの猿だ』

『まったくもう、どっちだっていいさ。いやよくないか。それより、これが最後にする会話かい?』

『……最後、か。なあ、僕たち本当にもう会えないのか? なんならアリの好きなお菓子を、たくさん持って来てやるぞ?』

『会えないわけじゃ無いって、思兼命様が言ってた……』

『思兼命――、ああ、僕をここに放り込んだ、腰の曲がったよぼよぼ爺さんか』

『おいおい、思兼様は確かに杖をついているけれど、別によぼよぼな訳じゃないさ。――で、その思兼様が言うに、次ボクたちが会えるのは、元号が変わってからなんだって』

『元号が? なんだ、元号なんて三、四年に一回ころころ変わるじゃないか。今生の別れみたいに言うんじゃないよ、まったくもう』

『変わってからといっても、それは次の元号とは限らないよ。なんでも「平成」っていう元号に変わってかららしいんだ。それがどれくらい先かは、分からないよ……』

『平成? えーと僕が生まれたのが承徳(じょうとく)で、次が康和、長治、嘉承、天仁、ときて今が天永か。よし、僕が次の元号を、「平成」にするよう掛け合ってみるよ』

『ええっ、掛け合うって、一体誰にだい?』

『そりゃあ勿論、鳥羽天皇にだよ』

『て、天皇? そりゃいけない。君の危なっかしさじゃ、どんな粗相をしでかすか分からない』

『なんだ、失敬な奴だなあ。まあ落ち着けよ、アリ。掛け合うっていったって、直接鳥羽天皇のところに行くわけじゃないさ。天皇の祖父にあたる白河法皇に、それとなく提案してみるのさ。父上も僕も、白河法皇の覚えがめでたくてね。それに「平成」とかいう元号には僕の名前も一文字入っている。法皇様がそう取り計らってくれるということなんだろうな』

『それでも心配だなあ。上手くいかなくって、結局鳥羽天皇に直談判、なんてことはよしておくれよ。新しく変わった元号にケチでもつけようもんなら――』 『しないしない、そんなことをしたらどうなるか、流石の僕も分かってるよ。心配性だなあ、アリは』

『心配してもしきれないよ。こんなんでも、君はボクの大切な大切な弟子なんだ』

『アリ――』

『さあ、もう行く時間だ。うかうかしてると、目から変な汁がでてくる』

『なあ、アリ――』

『成通、君の蹴る鞠は、きっと雲まで届く。その光景はなによりも美しいはずだ。美しく、美しく、それは神々までをも魅了する。蹴鞠の精である、このボクを虜にしたように』

『やっぱり嫌だよ。もう少し教えておくれよ!』

『平成、それはどんな世なんだろう。もしかしたら一年後か二年後か、それとも十年二十年も先なのか。僕が教えたことが、君の人生の実りに成ることを、心から祈っているよ』

『ありがとう、アリ。もし僕が、思兼のじいちゃんみたいなよぼよぼの爺さんになっていても、きっと見事に鞠を蹴ってみせる。雲にだって、届くどころか突き抜けてやるさ。お前の教えてくれたことが、こんなにも僕を輝かせてくれたって、見せてやるよ』

『また会おう、アリ――』

『また会おう、成通――』

1-4

 成の放った弾丸の様なフリーキックは、宙空で不思議な挙動を見せ、何人たりとも触れることを許さずゴールネットに突き刺さった。

 秋菊中、藤原成のゴールである。

 地響きの様な歓声の中、コロはゴールネットにからまり、茫然自失の状態だった。

 無理もない。

 ボールに宿り成に蹴られたその瞬間、突如凄まじい記憶の洪水がコロを襲ったのだ。

 宙に浮かびゴールへ向かう光景を、まるで静止画といって差し支えないほどのスローモーションで目の当たりすると同時に、誰かの一生を走馬灯のように体感した。

 いや、「誰か」ではない。

 あれは自分だ。

 過去の自分の記憶なのだ。

 今の自分の知識に照らし合わせれば、西暦1110年前後、日本では平安時代と呼ばれる時代に生きた、鞠の精霊「夏安林(アリ)」の記憶だった。

 そして、烏帽子を被ったあの少年、藤原成通(ふじわらなりみち)。

 ついぞ再開することのなかった、かけがえのない彼を思い返し、胸が痛む。

「コロ様――」

 必死に記憶を整理するコロの頭上から、聞き馴染みのある声がした。

 思兼命だ。

 コロが上空を見やると、突然思兼はくるりと華麗に宙返りをし、ポンっと弾けた煙に隠れる。

 だがその煙幕はすぐに晴れ、その中から、杖をついた小さな老人が現れた。

 思兼命が、スラリと背の高い老執事の姿から変化したのだ。

 腰が曲がり両手で杖をつき、美しかった銀髪は嘘の様にハゲあがっている。身にまとう物も英国風のものではなく、純和風のそれである。しかも随分安っぽく、はっきりいって貧相だ。身長は執事スタイルの時と比べれば半分もなく、三頭身とはこのことだ、と主張し体現しているかの様である。

 だがコロは驚かない。何故なら昔、コロが鞠の精霊アリであった時、この思兼命の姿を幾度も目にしていたからだ。

「目覚めたか、アリよ!」

 ストンと芝の上に降り立ち、老人が叫んだ。口調まで変わっているが、そういえばこの格好をしていた平安の時代は、こんな口調だった。

 やたらテンションが高く、語気の強さにゲンナリしたことを覚えている。

「いや、ちょっとまだ混乱しています。分からないことも多いし……」

「かっかっか! まあ無理やり記憶をいじっていたから無理もない。――してアリよ」

「ちょ、ちょっと待ってください。僕、今はコロなんだから、コロって呼んでもらえます? あと、できれば前のジェントルマンな思兼様の方が、調子が狂わなくていいなあ、なんて思うんですけど……」

 老人は、「これはこれで趣が……」とつぶやきながら、杖をトントンと芝の上につくと再び煙が巻き起こり、瞬く間に元の英国風執事の姿に戻った。

「これでよろしいですか、コロ様?」

 この紳士が時に異常なテンションになってしまうのは、二つの人格ゆえなのだろうか?

 ともあれ穏やかな思兼に戻り、コロは幾分ホッとする。

「もうお分かりですな? コロ様は、鞠の精霊アリの生まれ変わりである、と」

「ええ、バッチリ思い出しました。ってことは僕ったら神に出世していたんですね?」

「左様でございます。精霊としての生を終え、神として目覚めた時、本当ならコロ様は喜んで然るべきだった。まあ記憶を封じられていたのですから、無理もない」

 そうだ。目覚めた時、コロは世の中の知識はふんだんにあるのに、神としての知識は全くといってなかった。知識注入の途中に起こされたため、と聞いていたはずだ。

「封じられていた? どうしてまたそんなことを?」

 そんな回りくどいことをせずともよかったはずだ。

 面倒くさい説明をする必要もないし、なにより今、コロにはエネルギーがみなぎっている。記憶を取り戻してからの神力は、別次元にレベルアップしていることがコロには分かる。

「それを説明するには、いささか時間が足りません。それよりも、藤原成と藤原成通の関係のほうが、重要かと思います」

 確かにその通りだ。

 といっても薄々コロは勘付いている。

 何より二人は、その顔が瓜二つではないか。

「ややっ、どこかで見たと思ったら、あれは蹴聖じゃないか? ママ、蹴聖があっちのチームにいるぞ!」

 高鳴る胸を抑えコロが尋ねようとしたその時、上空からイザナギの声が降ってきた。

「あらん、本当ね。蹴聖ちゃんじゃない、懐かしいわあ。昔はYomi-TUBEでよく観てたもの」

 イザナミは、豊満な胸の谷間からオペラグラスを持ち出し、しげしげと成の表情を観察している。

「ずるいぞアーちゃん! 蹴鞠の天才、蹴聖の生まれ変わりを持ち出すなんて、卑怯じゃないか。パパも昔ファンだったんだぞ」

「知らないわよ! 私は蹴鞠なんて興味なかったんだから。ずるいのはパパのほうでしょう?」

 ピッチの上で、喧々諤々の親子喧嘩が始まった。

 喧しいことこの上ないが、今は捨ておこう。

「成は――、成は成通の生まれ変わりなの?」

 コロの最優先事項は、これだ。

 生まれ変わり――、その概念は知っているが、そんなものが本当に実在するんだろうか?

 だが現に自分はその生まれ変わりである。それが人間にも通用するのであれば――。

「左様でございます」

 その言葉に、コロの心がパッと明るくなる。

 次に会えるのは平成の世――、あの言葉は嘘ではなかった。

 あの日あの丘で、悠久の時を越え、アリと成通はコロと成として再開していたのだ。

 心の中で止めどなく涙が溢れ出す。

「藤原成は「蹴聖」と呼ばれた蹴鞠の達人、藤原成通の転生した姿です。彼があなたと別れてからの、その後をお話ししましょう。アリであったあなたが育てた成通は、瞬く間にその道の頂上まで登りつめました。曰く「清水の舞台の欄干を蹴鞠しながら往復した」、曰く「成通が蹴る鞠は雲まで届いた」等々、現在まで語り継がれる伝説を残しました。他にも和歌や笛、馬術等々様々なジャンルで名を残しております。全てコロ様が指南したことです。あなたの指導は見事なまでに実を結びました」

 あの後、成通は立派にやってのけたのだ。なんと嬉しいことだろう。

 コロは、流れぬはずの涙を何度も拭う。

「ただ、その後があまりよくありませんでな」

「――へ?」

「諸道に功績を残した蹴聖藤原成通ですが、いささかお調子者のきらいがありましてな。失言が少々多かったようです。白河法皇より公卿(くぎょう)に推挙された際も、鳥羽天皇に反対されました。そういったことで出世が遅れたようです」

「あのバカ、あれだけ言ったのに!」

 どうせ鳥羽天皇に「平成」の元号をごりおしたのだろう。その気持ちは嬉しいが、その際どんな失言をしているか、容易に想像できてしまう。

 成通が最後にあの社を出るときも、いつものように記憶を消しておくべきだったのだ。

 だがあの場にそれを成せる思兼命はいなかったため、叶わなかった。

「ですが最終的には大納言まで登りました。本来なら更に上を目指せたかもしれませんが、大納言もトップに近い地位といえます。今でいえば大臣の下、副大臣や事務次官といったところでしょうか。晩年は出世を諦め出家してしまいましたが、当の本人は幸せだったようです。そして応保二年、西暦1162年、その死の間際思うは蹴鞠の研鑽の日々。つまりコロ様、あなたとのかけがえの無い青春の日々でした。藤原成通が薄れゆく意識の中見たものは、鞠に変化し雲を貫きなおも飛んでいく、蹴鞠の精アリの姿でした。多くのものに見守られ、そして惜しまれながら彼はその生をまっとうしました。あの時代に生きた者として、その一生は他と比類するものがないほど幸せだったといえるでしょう。そしてその魂は輪廻の螺旋を巡り、生まれ変わりを待つこととなります」

 人生である。

 辛いことも悲しいこともあっただろう。

 だが、最後が幸せであったならそれでいい。

「コロ様の方は、藤原成通と別れてからの記憶はほとんどないでしょう?」

 確かにそうだ。あっても非常に断片的である。記憶と呼べるものはほぼない。

 コロはコロリと頷いた。

「それもそのはず。精霊は、以前説明した通り、言葉や自発的意思を持ちません。あの時は私の力で、精霊であるあなたを限定的に猿の中に押し込んで、蹴鞠の精アリを創りあげたのです」

「ええっ、そうだったんですか?」

「あの時は急な連絡で私も焦っていましてな。社に住み着いていた猿を、一匹利用させてもらいました。藤原成通と別れてから、あなたは元の体を持たない精霊に戻りました。ですからそこからの記憶もありません。あの時点では、これから神になれるかは運次第、といったところだったでしょう。人々の蹴鞠への関心がより高まっていれば、あなたは蹴鞠の神になっていたかもしれません。正にその目前だったといってよいでしょう。しかし、時代はあなたに不利に傾きました。織田信長が、歴史に登場するのです」

「信長? あの有名な織田信長? 確か、尾張のうつけとか魔王とかいわれていた、あの?」

 平安時代の話と思っていたのに、一気に戦国時代の話である。

 四百年以上も神になれず、蹴鞠の精として漂っていたのだろうか。

「ええ、あの織田信長です。今でも創作物でよく登場しますな。昔姫のプレイしていたゲームでも、頻繁に目にしました。大名が刀を振り回し戦場を駆け回るなど、あり得ぬことですが……。さてその信長ですが、彼は相撲を推奨しました。それが一大ブームとなり、次第に蹴鞠は消えていくこととなります。近世では、明治天皇が蹴鞠を好まれましたが、激動の時代です。蹴鞠は飛鳥井家と難波家に受け継がれてゆきはするものの、表舞台からは姿を消しました。あなたは、やるべきこともなく何も考えず波間を漂うクラゲのように、この世界の波にただただ揺られ彷徨っていた、ということです」

「な、なんだか成通に比べて、僕の人生って悲惨……」

「まあ精霊は、意識もあってないようなものですからな。特段苦痛には感じなかったと思います。さあ昔話はこの辺にして、意識を試合に戻さねばなりません」

 そうだ、1点とったといっても、まだまだこちらが劣勢なのだ。後半5分で1-4、残り25分で、後3点は取らなければ敗けになる。

 やっと出会えた成と、再び離れ離れになってしまうのだ。

 成の死という結果をもって――。

「ここからが本番なんだ」

 コロは再び兜の緒を締め、ピッチの状況に意識を戻す。

 成達秋菊中の面々は、やっともぎとった一点を喜びあった後、それぞれの守備位置につこうと動き出していた。

 コロも思兼に抱えられ、成のそばにいる。

「まったく呆れるぜ」

 近くにいた飛鳥井が、ため息を吐きながら頭を振る。

「いきなり自分が蹴ると言っておいて、完全に枠から外れてんだもんな。一瞬怒鳴りつけてやろうかと思ったら、ナックルかフォークボールみたいに落ちてゴールしちまった。ホンダかよ、まったく」

 飛鳥井は呆れながら、日本代表のスターサッカー選手の名前を口にする。

 成が先ほど放って見せたシュートは、そのホンダが見せる芸術的フリーキックと見まごうほど、凄まじい変化をみせるものだった。

「昨日もみせた、無回転――だよな? 練習してたのかよ?」

「いや、全然。でもなんかあの応援幕を見てたら、行ける気がしたんだよなあ。こう、昨日やった蹴鞠を、上じゃなく角度を変えて……」

 無回転とは、無回転シュートのことだ。

 ボールに回転をかけず、かつ高速で蹴ると、ボールの周りに気圧差が生まれ、野球のナックルボールのような予想のできない動きをして落ちる。

 無回転で蹴るといえば簡単に聞こえるかもしれないが、その実凄まじく高い技術が要求され、現代の魔球と呼ばれることもあるのだ。

 それを見事ゴール隅、ここしか無いという所に、成はコントロールして決めて見せたのだった。

「はあ? まあいいや、とにかく点が入ったしな。これで首の皮が繋がったぜ」

 天才はその目をギラリと光らすと、守備位置に帰っていった。

「さあコロ様、あなたがアリとしての記憶を取り戻したということは、蹴聖も藤原成の中で目覚めているということです」

 思兼が、その両手の中にいるコロに顔を近づける。

「成の中の蹴聖? それはどういう――?」

「勿論彼は人間ですから、平安時代の記憶があるわけではございません。まあこういうものは、体で感じた方が早いでしょう。失礼」

 ポイっとコロは、成へと投げつけられた。

 体に染み付いた動作で、少しの間離れていた成に、コロは再び宿る。

「――うわあ、これって?」

 それは驚愕といってよいだろう。

 成のサッカー選手としてのパラメーターが、凄まじく上昇しているのだ。

「こ、こんなの反則じゃあ?」

 あまりのことに、コロは尋ねた。

「いいえ、冷静に分析してご覧なさい」

「冷静に?」

 コロは心をできるだけ落ち着け、再び成をスキャンする。

 そうすると、おやと首を傾げることになった。

 身体能力は、特段伸びているわけではない。

 にも関わらず、これほど成長できるとは一体どういうことだろう。

 コロが悩んでいることも知らず、成は自分の守備位置につくため軽く走り出す。

 その瞬間、コロは成の成長の正体を知り再び驚嘆した。

「完璧だ。成は自分の体を自分の思い通り、完璧に操っている!」

 もしもコロのこの声を、会場の観客が聞いたなら、何を当たり前のことをと言うだろう。そら、自分も思い通り操れるぞ。手も足も体のどこでもこの通り、と。

 だが違う。そんなものとは次元が違うのだ。

 ミリ単位ですら大雑把といえるほど、精密な動きが要求されるのが、サッカーという競技だ。少しのズレが大きなミスとして表れる。

 そして人間は機械と違い、全く同じ精密な動きは得てして不得意である。同じ動きをしているつもりでも、その意識に反し必ず誤差がでる。芸術であればそれが良さや味、個性といったものになり好意的に捉えられるが、スポーツは違う。その意識との誤差が小さくなればなるほど、より高みに立つことができるといっても、過言ではないだろう。

 成は今、その高みに立っている。

 彼の意識は、もはやその四肢だけではなく、爪の先、いや髪の毛の先までコントロールできるほど、その体とリンクしているのだから。

『美しく、美しく』

 すでに試合は再開している。

『髪の毛のその先までをも、美しく』

 これは、成の心の声だろうか。

『美しく、美しく』

 いや違う。似ているが、もう少し若い。

『それは神々を魅了するほどに、美しく』

 懐かしく、そして生意気な声色。これは――。

 成通のものだ。

 成通の声が、成の意識の深層で、木霊(こだま)しているのだ。

 成の動きがそれに呼応するように、より一層研ぎ澄まされていく。

 芸術的なフェイントに、成につくマークマンは翻弄される。

 あれほどボールに触れなかったのが嘘のように、マークを振り切りフリーとなった成にボールが入る。

 ボールを持った成は焦り追いつこうとするDFを食うかのように、またもその逆をつく。

 まるで手品をみるかの様に、あっという間の得点チャンスだ。

 成の右足が上がる。だが、難波がすかさずヘルプに入ってきた。流石に速い。

 難波の左足は見事なまでに、完全にシュートコースを塞いでいる。

 どんぴしゃのタイミングで、難波宗のシュートブロックが成功した――、かのように見えた。

 だがボールは、成の足が振り抜いたゴール方向ではなく、なんと真横に飛んだではないか。

 虚をつかれた難波の股の間を通り過ぎ、それはゴール前逆サイドへと転がる。

 成はとっさの判断で振り下ろす足の軌道を変え、更に足首から先を使い、ボールをこそぐ様に蹴ったのだ。

 まさに完璧な身体操舵の賜物である。

 だが転がったボールには凄まじい横回転がかかっている。

 このボールの処理は非常に難しい。並の者が蹴っても、明後日の方向へふかしてしまうのが、関の山だろう。

 しかし、そこへ走りこんで来た少年は並ではない。

 並どころか天才である。

 飛鳥井はボールの回転などものともせず、閃光の如く左足を振り抜いた。

 2-4

 後半15分、秋菊中学、飛鳥井雅のゴールが決まった。

「きゃあ! やったわ! やったわよ!」

 いつの間にか応援団に戻り実体化していた天照が、マイクを放り投げた田中アナウンサーと手を取り合い、狂わんばかりに喜んでいる。

 コロももちろん嬉しいが、それ以上に見とれていた。

 ボールに宿ることも忘れ、成の美しい動きに見とれていたのだ。

 彼の体は、まるで重力を忘れたかのように、音も無くピッチを駆け巡るのだ。

「成通も、あの後こんな風に活躍したんだろうか」

 成の姿に成通の姿を見た気がして、コロの胸が熱くなる。

「蹴聖藤原成通は、誰かの肩に乗っても、その乗られた者はそれに気付かなかったと云われています。それは言い過ぎかもしれませんが、正に今の彼のようだったのかも知れませんな」

 思兼が優しく教えてくれる。

「成通はあれからも、ちゃんとボクの教えを覚えていてくれたんだ。神々を魅了するほど美しくって。でもそう言った当のボクが、試合中だっていうのに見とれちゃった」

「ふふ、それはコロ様だけではないかもしれませんぞ」

 思兼の視線の先を見やり、コロは思わずぎょっとする。

 イザナギが試合前産み出した、山城中学の面々に宿っていたはずの神々が、一神二神と相手の少年たちの体から、飛び出してくるではないか。

「すごいね彼! やっぱり僕、この子がいいなあ」

 飛び出した神々は、皆口々に成を褒めながら、わらわらと周りに集まってきた。

「な、なんだお前ら? 成はボクのだぞ、近寄るんじゃない」

「ケチなこと言うんじゃないよ。自分ばっかり独り占めするなんて、ずるいぞ。それっ!」

 コロの制止も聞かず神々は、勝手に成の体へと潜って行ってしまった。

「ああっ」

 コロは慌てて成の体の周りを転がるが、時すでに遅しである。

「慌てずとも大丈夫です。一番最初に宿った者が、その人間の権利者です。まあ子分ができたと思えばいいでしょう。どうです、より神力が漲っているでしょう?」

「え、そういえば……」

 アリとしての記憶を取り戻した時ほどではないが、よりエネルギーの充実を感じる。成の身体もそれは同じで、後半も折り返しだというのに、力が漲っているではないか。

「誰が子分だ!」と言うその神々の声が漏れ聞こえるが、とりあえず無視だ。

 上空から聞こえる「困るよ君達!」というイザナギの抗議の声も、同様に無視である。

「しかしこれは、藤原成のメリットよりも、あちらのデメリットの方が大きい様ですな」

 思兼の言う通りだ。

 試合も残す所15分、ここで突然神々の加護を失った山城中の面々は、目に見えて体の動きが重くなった。いつも以上の調子のよさに勢いづき、前半飛ばし過ぎていたこともあったのだろう。神々が離れ、ツケを払うかのように一気に疲れが押し寄せたと見える。

 それはあの難波宗も例外ではない。

 肩で激しく息をし、降り注ぐ太陽を恨めしそうに仰いでいる。

「これなら、いけるかもしれない」

 サッカーは一人でやる競技ではない。

 有利になる材料が増えたとはいえ、チームとしての差は依然大きい。

 だが成と飛鳥井は、コロが不可能と断じたプランをやってのけた。

 これには自らの不明を詫びるしかないだろう。

「精神一到、一念通天、思う念力岩をも通すというじゃないか、ねえ成通?」

 コロは上空の、大きな雲に向かい問いかける。

『――知らないよ、そんな言葉』  

生意気な、あの懐かしい声を聞いた気がした。