6-2話

「凄い! 二人共、中学生のレベルじゃない!」
もう空中に、三十合は打ち上げられただろうか。
コロは感嘆の声を漏らしそうになった。
雨は少しも勢いを緩めず、すぐ横を流れる河川は、更にその嵩を増している。
時折雷鳴が轟き、閃光が二人の姿を青白く染める。
PTAが聞けば、「即非難しなさい!」と発狂しかねない状態だ。
そんな最悪のコンディションにも関わらず、二人の蹴るボールは、高く美しい放物線を描き、互いのいる場所へ到達する。
両者許されているはずの、トラップからのリフティングで一旦ボールの勢いを殺すことはせず、全てダイレクトで蹴り返している。
「トラップしてもいいんだぜ!」
飛鳥井がそう叫びながら、ボールであるコロを打ち上げても、成は黙ってダイレクトでそれを返す。
2、3合であればそれほど難しいことではないが、数を重ねればその分ボールは回転を増す。その回転をコントロールしながら正確に相手のいる場所に、しかも高度を保ちながらダイレクトに蹴り返すことは、相当の難易度だ。
そして現在優勢なのは飛鳥井雅――、ではない。
なんと成の方が優位に立っている。
試合開始直後は、成が劣勢だった。
流石、物心ついた時からやっていたと言うだけある。
飛鳥井の打ち上げるボールは正鵠を射ていたし、逆に成のそれは少しブレ、危うい場面も何度かあった。
しかしである。
数を増すごとに成の蹴るボールは精度を上げ、打ち上げる高度も増していく。
最初5、6メートル程の高さだった成の蹴るボールは、すでに20メートルを突破している。
飛鳥井といえど、この高さから落ち、ましてや回転するボールを正確に蹴り返すことは容易ではない。
しかも成がトラップをしない以上、ルールで許されていても自分がそれをするわけにはいかない。いつしか暗黙の「縛りルール」のようなものが生まれている。
数度に一度、飛鳥井の蹴りは、ほんの微かではあるがブレるようになった。
しかしそれも当然だ。こんな風に打ち合えていること自体、神業に近い。
このままいけば、あるいは――。
そう考えながらも今、コロの心は別の不思議な情景にとらわれていた。
先ほどから成に触れるたび、何かがコロの中に流れ込んでくるのだ。
そしてそれは少しずつではあるが鮮明さを増し、それに比例して成の放つボールの精度と高度も増していく。
「――これは一体なんだろう?」
誰かが見ていた景色。
真っ赤な鳥居。
果てのない石段。
神社か寺だろうか?
烏帽子を被った少年。
その顔は見えない。
杖をつき高らかに笑う老人。
猿のような獣の手。足。
猿の視点?
湯気立つ茶飲みに和菓子。
天高く打ち上げられる鞠。
それは雲まで届くほど――
「ドンッ」という衝撃に、コロは我に帰った。
成から流入する謎の情景に心を奪われていたため、最早何合打ち合っていたかも分からない。
ただとてつもない高度に、今、自分はいる。
二人の姿が豆粒程に見える。
これはどちらに蹴られたもの?
空中でコロは一瞬逡巡したが、答えはすぐに分かった。
コロの体は、飛鳥井に向かい落下していく。
つまり信じ難いことに、成が自分をこの高度まで蹴り上げたのだ。
物理原則に従い、高さに比例し落下速度は増していく。
しかもあれほどかかっていたスピンは逆に完全に殺されており、無回転となっている。
ともすれば返易しと思える返球だが、無回転のボールは一定のスピードを超えると、野球のナックルボールのように不規則にブレる。
そのとらえ難さは時に魔球と呼ばれるほどだ。
地上にいる飛鳥井のもとへコロが到達した時、そのスピードと”ブレ”は、いかな天才といえどコントロールできるものではなかった。
芯を外れた鈍い音が響き、コロは成から大きく外れた上空に蹴り上げられた。
その軌道は、ルールにあった「3メートル以内」から完全に逸脱している。
このまま地にボールが着けば、成の勝ちだ。
その時である――。
「えい!」

天照の声が聞こえたと同時に凄まじい雷鳴が轟き、コロの体を未曾有の衝撃が駆け抜けた。
「ぎょえええ!」

天照大神が生み出した雷に打たれたのだ。
感電しそうにない合成ビニールとゴムの体なのに、残念なことにしっかり痺れている。
体感したことのない激痛がコロの体隅々まで余すことなく行き渡り、それが円運動を開始する。
端的に言って、地獄である。
落下していたはずの体は物理の法則に反し浮き上がり、空中で激しくバチバチと火花をあげた後、実体化していたコロの体は消し炭になり四散した。
「死んだ、今度こそ死んだ! 幻覚じゃない。ああ、あそこにもあそこにも、無残に飛び散ったボクがいる。コロちゃんバラバラ殺神事件だ。せめて集めて埋葬してやらないと――、って、あれ?」
いつの間にか、コロは中空で思兼命に抱きかかえられており、爆死したはずなのに意識がある。どうやら実体化が解け、元の神である体に戻っているようだ。

「あの体はただの入れ物ですからな。痛みや感覚はあれど、爆発しても死にはしません。まあ、心にダメージはありますが」
「おおありですよ! どんだけ痛かったか。人を消し炭にするなんて、一体どういうつもりなんだ、このバカ女!」
溜まっていた文句が溢れ出し、コロは天照に吠えたてた。
「うるさいわね。地面に落ちて決着なんて、地味でしょう? 最後はパーンときたない花火で終わらないと。それよりほら、どうなるか見ないでいいの?」

「ぐむむ」
二人の行く末は確かに気になるところである。
何がきたない花火だと言いたい気持ちを抑えて、仕方なくコロは少年達に視線を移す。
しかしどうだろう。
勝負を終えた二人のサッカー少年達は、「うわあ」と叫び声をあげて、一目散に何処かへ走っていくではないか。

だが、考えてみればそれも当然だ。
二人の目の前、空中のボールに雷が落ちたのだ。
人の目から見れば、ありえないほどの衝撃の瞬間であり、同時に生命の危機である。
勝負がどうのと言っている場合ではない。
いや、そもそも雷雨の中、河川敷公園にいること自体、危険極まりなかったのである。
二人の逃走は当然のことといえるだろう。
河川敷から抜け出す彼らの後ろを、コロ達神々も着いて行った。
雨で滑る堤防を駆け上り、危険地帯から抜け出し、二人は雷雨をかわせる歩行者専用の小さなトンネルにたどり着いた。

成のランニングコースであるこの場所は、今にも切れそうな小さな電灯が一機あるだけで、かなり暗い。
落書きだらけの壁は最早描くスペースが微塵もなく、新たに上から描こうなどと思う者は誰もいないだろうことは容易に想像がつく。
物騒すぎて、不審者すら近づかないほど人気がない場所といってよいだろう。
コロの方はすでに宿り主である成の近辺に戻っており、二人の様子を黙って見守る。
天照と思兼はというと、トンネルの入り口でこちらを窺っているようだ。
雨を拭いながら、二人の少年は荒れた息を整える。1キロほど全力疾走をしてきたのだから無理もない。
「びびったあ!」
呼吸が完全に整うのを待たず、二人は同時に声を上げた。
「俺たちすげえもん見たぜ! あんなのってあんのかよ?」
「完全に死にかけたよな? 明日決勝だってのに、俺たち何やってんだか」
「だから言っただろ、ケガしたらどうすんだって。藤原、お前あれで死んでたら、伝説になってたぜ。サッカー部キャプテン、決勝前日、落雷で死亡、って。間抜けな伝説だけどな」
「そっちは、登校拒否男子、落雷で死亡、だろ? 学校行かないで外出るなって、ネットで叩かれるさ」
「おい、登校拒否はひどいだろう」
「実際登校してないだろ?」
「まあたしかにそうか。しかしヤバかったなあ」
狭いトンネルにもたれ、二人は「ヤバいヤバい」と、腹がよじれるほど笑い合う。成が仲間と笑っている様子はよく見かけるが、飛鳥井のこれは初めて見る。クールに見えた天才の、本当の表情なのかもしれない。
しかしまあ、今しがた死にかけたというのに、一体何がおかしいのか。
実際にあの雷をくらったコロからすれば、まったくもって笑えない話である。
そんなことを知る由もない成と飛鳥井は、ずぶ濡れの服からぽたぽた雫を垂らしながら腹を抱え、辛抱たまらんとばかりに笑っている。
雨の中での運動と、目にしたこともないほどの超常が、二人をハイにしている。
「”しゅうせい”って、知ってるか?」
ひとしきり笑った後、飛鳥井がぽつりと呟いた。
「シュウセイ? 文字を修正する、とかの修正?」
謎の質問に、成は首を傾げるしかない。
「いや、ボールを蹴るの「蹴」の字に、聖なる魔法とかの「聖」の字で、蹴聖」

「うーん、聞いたことないなあ」
コロも同様である。漢字には詳しいと自負していたが、そんな言葉があること自体知らなかった。ゲームの用語か何かだろうか?
「まあそりゃそっか。そんな言葉知ってるのは、今時うちの家系くらいのもんだ」
肩をすくめ苦笑しながら飛鳥井は話を続けた。
「蹴聖って呼ばれた、蹴鞠の達人が昔居たらしくてな。っていっても八百年前だけど。それこそ伝説ってやつだな。いろいろ逸話があるけど、そいつの蹴る鞠は雲まで届いたって云われてる。最後お前が蹴ったボールを見て、それを思い出したよ。名前が似てるってのもあるかな。ほら、あの時代、藤原氏って多かっただろ? ま、最後に俺が蹴ったボールは雷に打たれたワケだから、ある意味「蹴聖越え」だけどな」
自嘲するように笑い、濡れた髪をかき上げ、それきり天才は押し黙る。
飛鳥井のその言葉は、先ほどコロが見た不思議な光景と、何か関係があるのだろうか?
天照の非道な爆殺で忘れていたが、随分前時代的な描写であった気もするし、それは八百年前から続く蹴鞠の話と符合する点があるような気もする。だがすでに先ほどのイメージは、霧がかかったように不鮮明だ。
それにあれは、そもそも成から伝わったものである。
あの映像は、一体何だったんだろう。
すでに成からそれに関して感じられるものは、何もない。
無い首を捻れど答えはでない。
仕方なく、コロは再び成達に意識を移す。
二人とも天井の時折点滅するライトを見つめ、先ほどの騒ぎが嘘かのように、トンネル内には沈黙が訪れている。
少年達に、もはや先刻の笑みはない。
雨音以外に時折聞こえるは、濡れた車道を走る車のタイヤの音のみだ。
――わかっている。
――話さなければならないことがある。
「俺の負け、だな」
長い沈黙の後、飛鳥井が言う。その目は真っ直ぐ成を見つめている。
「ああ、俺の勝ちだ」
飛鳥井の目を見返し、成が力強く、はっきりと答えを返す。
飛鳥井の蹴った最後のボールは、明らかに成のエリアから外れていた。
全力で闘った二人である。おべんちゃらを口にする必要などない。
「護達に、あの雷の話をしてやらなきゃな。藤原の話だけじゃ、あいつらホラ話だと思うだろ?」
ニヤリと笑い、飛鳥井がさらに言葉を続ける。
「何時にどこ集合だ?」
明日の試合に出場するという、表明である。
飛鳥井は、約束を守ると言っているのだ。
「現地の正面時計台前に9時だ。トップ下、任せる」
骨を折った、いや落雷死した甲斐があったというものだ。コロはホッと胸をなでおろした。
天才がチームに帰ってくる。
それは大きな戦力アップをもたらすだろう。
自力で勝る青海第一中学が相手とはいえ、明日の戦いは成の命がかかっているのだ。何が何でも100パーセント、いや1000パーセント勝たなければならない。
コロにとって、そして秋菊中学サッカー部にとって、飛鳥井の復帰は計り知れない僥倖といえた。
天照の破天荒な力技が、結果、最大の収穫をもたらした。
爆殺の痛みと恨みは忘れられないものの、コロはこの邪神にすら感謝の念を禁じえない。
「天照大御神様、ありがとう! よーし、ボクったら、明日は頑張っちゃうぞ!」 笑顔を見せる二人の顔を交互に見やり、コロは明日の勝利に決意を込めた。

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