コロ!! 第六章 1話

コロ(小説)

『やったじゃないか! 鳥居の陰から見守っていたけれど、たいしたもんだ。ボクも稽古をつけた甲斐があるってもんだよ』

『ふふん、これが実力ってもんさ。もう誰も僕にかなうもんか』

『おやまあ、まったく、ちょっと褒めるとこれだからなあ。あのねえ、「大敵と見て恐れず小敵と見て侮らず」というだろう? 君には特にこの後半部分を、肝に命じてほしいものだ』

『だから、知らないって、そんな言葉』

『油断大敵、ってことだよ。それなら分かるだろう? それに、君が以前負けた相手には、未だ鎧袖一触(がいしゅういっしょく)されるほどの差があるんだ。分かったら練習に励むことだな』

『もう、難しい言葉使うなって言ってるだろう? こうなったら、もう寝てやる。おやすみなさい』

『ああっ、おい寝るんじゃない、時間がもったいないじゃないか。やれやれ、人生「学」というものも大切だ。どうせなら教養もたしなんだ方が、君のためというものだろう。競技ができなくなってからの方が、人生長いんだぞ』

『嫌だよそんなの。僕はこうして蹴っている時が、一番楽しいんだ。だいたいお前に勉学なんか、教えられるわけないだろう』

『ふふん、こんな格好をしていても、僕は日本由来の精霊なのさ。和歌は名人級だし、漢詩も完璧さ。他にも笛や馬術、今様歌なんかも達人の腕前といっていい。西洋の言葉は知らないけどね』

『西洋ってなんだよ、まったくもう。歌は嫌いじゃないけれど、そんな暇はないんだよ』

『やれやれ、痘痕もえくぼに見えるほど好きなことがあるのは、それはそれで結構なことだけどね。まあそれは今後の課題ということにして、とりあえず今日も始めることにしよう』

「いいわねえ。男と男の決闘は、雨の降る河川敷と相場が決まっているのよ。気の済むまでやりあいなさいな!」

「明日決勝だってのに、ケガでもしたらどうするんだよ!」

 上空で高笑いをきめる天照に、コロが怒りにまかせ、地上からきゃんきゃんと吠えたてた。

 降りしきる雨の中、成と飛鳥井が対峙している。

 身にまとう衣服は限界まで水を吸い肌に張り付いて、両者脂肪一つない鍛え上げられた体幹が透けて見える。

 日はすでに落ちており、二人のいる河川敷公園を照らす照明と、嵩を増し「どんぶらこ」と脇を流れる濁流が、二人のいる場をまるで決闘の舞台の如く演出する。

 一体全体、どうしてこんなことになったのか。

 コロは無いはずの両手で頭を抱え、掻きむしった。

 それを説明するためには、話を一月前に遡らなければならない。

 先月、スサノオを追い払い、八雲中を下した成率いる秋菊中学は、見事トーナメントを駆け上がり地区優勝を果たした。八雲中学は地区優勝候補の筆頭であったので、それを下した成達に敵はいなかったのだ。

 続く県大会でもその勢いは衰えず、僅差ではあるものの勝ち星を重ね、昨日の準決勝でも勝利を果たした。

 延長戦を終えても決着はつかず、運の要素が強いPK戦、相手の五人目のキッカーのミスキックに助けられての勝利ではあったが、なんとか決勝の大舞台に辿り着いた。

 明日の決勝を戦う青海第一中学は、そこまで強い相手ではない。昨日戦った宮之阪中学こそが、全国大会出場常連校であり、この県大会優勝候補だったのだ。

 それに比べれば、青海第一中学はワンランク劣る相手といってもよいだろう。成と共に、明日戦う青海第一の準決勝を観戦し分析したが、その評価は変わらなかった。

 とはいえ同じ決勝まで勝ち進んだチームだ、油断は禁物である。

 その夜――、つまり昨晩の夢連で、コロは成に「油断大敵」と言い含めた。それは自分に対して言い聞かせるものでもあったのだ。

 明けて今日、天候は生憎朝から雨だった。

 それは放課後になっても止むことはなく、部活の方は明日の決戦に備え、フォーメーションの確認と軽いストレッチ程度に留めることとなった。

 当然といえば当然である。

 季節は7月に入り、気温は例年に増して高い。

 熱中症になってもおかしくないほどの炎天下で、成や護といった3年生のほとんどは、連日フルタイムで戦っているのだ。

 疲労は確実に溜まっている。

 だが晴れていれば明日への逸る気持ちが抑えられず、ついつい体を動かしてしまうのが中学生というものだ。

 雨のおかげでオーバーワークは抑えられ、成達は皆、万全のコンディションで調整を終えることができたといえるだろう。

「なんか、順調でつまんないわねえ」

 その時その様子を見て、上空で涅槃(ねはん)のポーズをとりながら呟いたのは、序列一位の日の本の神、天照大神だった。

 ばりっと醤油センベイをほおばりながら、不満そうに眉間にシワを寄せたのだ。

 県大会に駒を進めてからは、試合がない日であっても、天照は毎日コロの元へやって来た。勿論執事の思兼命も一緒である。

 全く顔を見せなかったここ半年とは、打って変わった天照の行動に、なにかまた邪魔をされるのではないかとコロは気を揉んだが、それは杞憂に終わった。

 彼女は純粋に秋菊中学を応援したし、勝つと心から喜んで、満足しては帰っていった。

 練習中も、居眠りをしたりスマホをいじることはあっても、特段邪魔になる行動はなかったし、昨日の準決勝、宮之阪中との戦いの折、PK戦でギリギリの勝利を手にした時などは、その目になにか潤むものをさえ見た気もする。

 この厄災の化身といっても過言ではない神も、こうしてひたむきに応援していればなかなか可愛く見えるものだと、コロは感心したほどである。

 であるのにだ――。

 昨日の感動はどこへやら、ここへきて不穏な呟きが漏れ聞こえてきた。

 背筋が凍るものを感じながら、コロは成と、そしてDFの護と共に下校していた。

「あいつと、決勝を戦いたかったな」

 帰り道の傘の下、護がポツリと言った。

「ああ」と成が、同じく傘の下で頷き返す。

「あいつ」という言葉が指す相手は、この場合一人しかいない。

 天才、飛鳥井雅に他ならない。

「あいつと、今の成とのFWコンビ、それさえありゃ鬼に金棒だってのにな。それに戦力どうこうより、俺が後ろから見てみてえよ、それ」

 その思いは成も一緒だった。実力も自身もついた今、かつて追いすがることさえできなかった天才とのプレイは、成もコロも夢に見ずにはいられなかった。

 はるか彼方に見えた天才の背中は、今の自分にはどのように映るのだろう。

 近づき大きく見えるのか、それとも更に離され小さく見えるのか。

 そう思いを巡らせる成の心の声が、雨音ともにコロに染み込んできた。

「けどあいつ三年になってから、学校にも来てない。行くって言ったのにな」

 飛鳥井雅は、三年生に上がってからというもの一学期全欠席の状態である。あの雨の日の約束は、見事に破られたことになる。

「わりい、試合前日にする話じゃなかったな。しかし、なんでか雨が降るとあいつの話になっちまう。あいつは雨男かっての」

 表情が陰ったエースの心情を察し、くるくる傘を回しながら護はおどけた。

「話題に上がっただけで雨男呼ばわりされちゃ、あいつも堪らないよ」

 成と共に、コロも思わず苦笑する。

「ま、明日は俺が1点もやらねえ。お前はバンバン点とって、全国行こうぜ!」

 分かれ道の丁字路、「じゃあな」と護は傘を持つ手を大きく掲げ、帰っていった。

 後は自宅である藤原スポーツ店に帰りつき、どうせ今日もパチンコに行くであろう父親の宗道に代わり店番をする。そして夕飯を食べ風呂に入り、床につき眠りに落ちた後は夢練で、明日への心得をコロにみっちり説かれる。成は何事もなく決戦の明日を迎える。

 ――はずだった。

 そのはずだったのだ。

「これよこれなのよ! 決勝の前日雨の中、かつて歯が立たなかった天才に、愚鈍な努力家の主人公が挑む。努力、友情、勝利が揃ってこそのスポ根マンガよ。ひらめいた、ひらめいたわ!」

 あと10メートルで自宅に着くという時に、天に浮かべていたたちゃぶ台を、お茶とセンベイごとひっくり返し天照が叫んだのだ。

 スポ根マンガ云々は何のことだか分からないが、ロクでもないことをしでかそうとしていることだけは感じ取れた。

 コロはなんとかそれを阻止しようと、抗議するため無い口を開きかけたが、声を発する間もなくそれは起こった。

 パンという柏手(かしわで)と共に、成もコロも、瞬時に河川敷公園に飛ばされていたのだ。

「なんじゃこりゃあ!」

 まるで半年前、難波宗率いる山城中と試合をするために、高天原のアマテラススタジアムに飛ばされた時の再現である。またやられたというわけだ。

「役者はもう一人必要よ。えーと、あ、いたいた。それパン、と」

 抗議する間もなく再び起こる柏手と共に、河川敷にその「もう一人」が瞬時に移動されてきた。

 言うまでもなく、現れたのは飛鳥井雅である。

 雨が降り増水し、とても安全とはいえない夜の河川敷公園に、成と飛鳥井は天照に強引に移動させられたのだった。

 こうして、話は冒頭のシーンに辿り着く。

 成と飛鳥井が雨の中対峙する今のこの図は、天照の気まぐれと、そのデタラメな神力で引き起こされたものだったのだ。

「ほんとに雨男かよ、まったく」

 成は先ほどの護の軽口を思い出し、そう独りごちた。

「なんだそれ。久々に会ったってのに、雨男呼ばわりはないだろう?」

 出会い頭の不名誉な称号に、飛鳥井は片眉を上げる。

 二人とも突然出会ったことを、不思議に感じる様子はない。

 それどころか、前触れもない瞬間移動に動じる素振りすらないのだ。

 神の起こす奇跡には、人の身では気づくことすらかなわないのだろう。

 その証拠に、成はこの状況をなんら不思議に思うこともなく、飛鳥井の方はといえば、突然「雨男」と呼ばれたことなどを訝しんでいる。

 腰を抜かすほどの超常の渦中にいるというのに、二人は露ほどもそれに気づいていない。

 成が手に持っていた傘もいつの間にか消えていて、飛鳥井の方も当然それを持っていない。

 二人ともすでにずぶ濡れだ。だがそれすら厭う素振りもない。

 天照の狙いが何かは分からないが、こうなっては、もはやコロにそれを止める手立てはない。

 怒りにガルルと唸りながら、コロは事の成り行きを見守った。

「昨日の試合、見たぜ。すげえな、お前ら」

 昨日の試合を見ていただって――?

 暫しの沈黙を破った飛鳥井のその言葉に、成の鼓動が反応し、それがコロへと伝わってくる。

「護がいなけりゃ負けていたな。あのDFラインの統率は、見事だった。並のCBだったらもう2、3点は取られてた。昔から県の中でも上手い方だったけど、あいつはすでに全国区の実力だろう。でも藤原、お前は――」

 でも?

 お前は?

 ゴクリと唾を飲み込むその音は、成か、それともコロのそれか。

「お前はすげえよ。ジュニアユースを入れれば分からないけど、中学じゃトップクラスなんじゃないか? いっちゃ悪いが、今までは「県の中でもまあまあ」くらいの印象だった。ああ、怒るなよ? 前は、ってことだからな。なあ藤原、いったいどんな練習したんだ? みんな上手くなってたけど、お前は「ダンチ」だ。異常っていってもいいぜ。あ、上から言ってんじゃないぜ。素直な感想だよ、感想」

 賛辞である。

 飛鳥井は、ことサッカーに関しては、嘘のつけない性格だろう。その相手が、成を賞賛している。

「今後の課題は、トップ下の強化だな。よくやってるがタツヒコはまだ二年生だろう? 反応がたまに遅れる。そのせいでお前の動きについてこれていない」

「トップ下は、お前のポジションだ、飛鳥井」

 タツヒコとは、この天才の言うとおり、一学年下なのにもかかわらず、重要なポジションであるトップ下を任されている二年生だ。おそらく来年の秋菊中のキャプテンだろう。よくやってはいるが、決定的な場面を逸する時がたまにある。

 そしてそのタツヒコが受け持つまで、チームのエースであり秋菊中最強のトップ下であったのが、目の前の飛鳥井雅その人だったのだ。

「タツヒコは本来、もう一歩引いてボランチを守る方がむいてるんだ。きっとその方があいつの「良さ」がでる。もう一度言う、秋菊のトップ下はお前だよ、飛鳥井」

「よせよ」

 飛鳥井が濡れた髪をかき上げる。美しいストレートの茶色がかった髪の毛は、どれほど雨に濡れようとその魅力を損なわない。

「今更俺が、戻れるわけないだろう? お前たちが、必死で頑張って来たからここまでこれたんだ。なのに突然戻って来て、最後おいしいところだけいただきます、なんてできるわけがない。俺がトップ下に入って、タツヒコがボランチに入る、じゃあ今まで必死でボランチでやってきたヤツはどうなる? 今更外されるのか? 部活内でドロドロするのはもう真っ平だ」

「最後じゃない」

 雨の中、成の言葉が凛と響く。

「これが最後じゃない。俺たちは明日の決勝を勝ち、その後も勝ち続け、全国で優勝するんだ。試合はまだまだ続く。うちはベンチの層が薄いから、お前が戻って来ても、喜びこそすれ妬むような奴はいないさ。昔の秋菊とは違うんだ。そんなレベルでものを考えるやつは、もういない。それに、お前がいなけりゃ山城中の難波には敵わない。難波はお前の親戚なんだろう?」

「え、なんで知ってんだよ?」

「去年練習試合したんだ、俺たち。その時はボロ負けだったけど、全国で会おうって約束した。あっちが本気で言ってたかは分からないけど」

 さすがに驚いたという顔をする。クールな天才が初めて見せる表情だ。

 だがそれも当然だ。

 あれほど距離の離れた日本代表有する名門校と、地区予選突破すらも怪しかった当時の秋菊中学が手合わせできたことは、本来ありえないことなのだ。天照大神の力技がなしえたことである。

 しかも、どうやら遺恨のありそうな親戚の名前までとびだした。飛鳥井が驚くのも無理はない。

「それに難波がお前に言ってた。「逃げるな」って」

 飛鳥井が息を飲む。おそらく難波は飛鳥井にとってライバル、もしくは超えられない壁のようなものなのだろう。

 クールな少年が、微かに拳を握りこむ瞬間を、コロは見逃さなかった。

 その時だった。

「ほれ、出番よ、バカコロ!」

「ぐえっ」

 ひりつくような二人の会話を見守るコロを、突如天照の張り手が襲った。

 雨を吸いきれず水たまりだらけになった河川敷公園の土が、その衝撃を受け止める。

「何するんだよ、この貧乳ペチャパイ洗濯板。今大事なところなのに、空気というものが読めないのかい? 見ろ、おかげで泥だらけじゃないか」

「何言ってんの、空気を読んだからこそじゃない。今二人に必要なのはくっちゃべることじゃなくボール、――つまりバカコロ、あんたの体よ」

「は?」

 その言葉を受け、コロは自分の体に意識を巡らす。

 合成ビニールの体は天照のせいで、コロがさっき抗議したとおり泥だらけである。

「ん、泥だらけ?」

 実体を持たないコロである。泥など体に付くはずもない。

 だが現に、付くはずもないものが体に付いている。

「コロ様の体は、寸刻に限り現界しました。実体化、と言うと分かりやすいですな。藤原少年に出会った時を思い出してくださいませ。あの折と同じでございます」

 思兼がにこりと告げる。

 成と出会った時?

 そういえば、あの海の見える丘の上で成に出会い宿った時、コロは成にも周りのチームメイトにも、ボールとして認識されていた。

 実際に彼らはコロを蹴り、パス回しに興じていたのだ。

「てことはボクったら、今あの二人に見えているの?」

「そういうこと。いい、自分で勝手に動いたら殺すからね?」

 恐ろしいセリフに助けを求めるように隣の説明執事を見やると、思兼命は真剣な顔で首を小さく縦に振る。

 どうやら超常がバレるようなことは、絶対に御法度のようだ。

 そういえば天照が無茶苦茶なことをする時も、絶対に神の存在が知れぬように細工している。それがどういう方法や理屈によるものかは分からないが、どうやら人々が疑問を持たないようにしているようなのだ。

 まあ、明らかに無理矢理な力技であろうことは、想像に難くないのだが。

 そんな芸当ができないコロは、動かずにいる他ないということなのだろう。

「動かない動かない動かない」とコロは自分に三度言い聞かせた。

「お前のボールか、これ?」

 飛鳥井が目の前に転がって来たサッカーボール――、コロを、足の裏で止める。

「いや、そんな汚いボール、知らない」

 一度会ってるのにそりゃないよ、とコロは泣きたい気分になる。それに、夢でなら毎日会っているというのにだ。なんとツレない相棒であることか。

 そんなコロの嘆きを知る由もなく、「ふーん」と言いながら飛鳥井はコロを軽く宙に蹴り上げた。そのままポンポンと小さくリフティングする。

「やはり――」とコロは思う。

 やはりこの少年は凄まじい。

 ボールに対する感覚が、常人のそれとはまるで違う。

 以前にも感じたことだが、コロは改めて衝撃を受けた。

 雨の中でもブレることなく、飛鳥井の足は、絶えずスイートスポットをコロの体に当て続ける。

 まるでボールであるコロ自身が、足に吸い寄せられているかのようだ。

「俺の家と難波――、宗の家はちょっと変わっててな」

 そういえば、難波宗もそんなことを言っていた。

 呼吸するかのようにリフティングをしながら、飛鳥井は話を続ける。

「難波家と飛鳥井家ってのは、昔から――、それこそ八〇〇年前から続く家系なんだ。それぞれ難波流と飛鳥井流って流派があって、密かに今だに競い合ってる。――蹴鞠(けまり)って知ってるか?」

 ドンッ、とコロは、突然天高く蹴り上げられた。その高度十メートル程だろうか。

 真っ直ぐ正確に蹴り上げられたコロの体は空中で一瞬動きを止め、重力に従い雨と共に高度を下げ、寸分狂うことなく飛鳥井の足先へと帰っていく。

 まるで空中に、見えないレールがあるかのようだ。

 稀有な天分を持つこの少年は、その場から半歩たりとも動いていない。

 蹴り上げが少しでも前後左右にブレていれば、コロの着地点は彼のいる場所から大きく変わっていただろう。

 芸術的なトラップでふわりと落下の衝撃を殺し、また小さなリフティングを繰り返す。

「こうやって鞠(まり)を蹴り上げて、落としたヤツが負けってルールだ。細かく言えばいろんなルールや決まりがあるけど、まあ概ねそれで間違いない。ガキの頃からやらされてて、一年に一回、両家集まって試合をするんだ。神事としてな」

 また飛鳥井が、雨の落下に反しコロを蹴り上げる。

「サッカーに関しては何も言わない親父が、蹴鞠にはうるさいんだ。お家同士の威信をかけて、ってやつ? おれはそれが嫌で、去年の集まりに行かなかった。それから親父とは、口も聞いてないけどな。ま、宗の言うとおり、俺は逃げたんだろうな」

 飛鳥井は落ちて来たコロをコントロールし、リフティングを止め、足の裏でとめた。

「じゃあサッカーでも、あいつから逃げるのか?」

 険のある成の言葉に、流石に飛鳥井も気色ばむ。

「おいおい、喧嘩売ってんのか? サッカーは関係ないだろう? 高校でもサッカーは続けるし、そのうちあいつとも戦うだろうさ」

 これに関しては飛鳥井が正論だ。上のステップに行けば、難波が怪我でもしない限り必ずどこかで対戦することになるだろう。別に難波から逃げているわけではない。

 だが成は意に介さず続ける。

「でも俺から山城中の話を聞いた今、秋菊に戻ってこないってことは、逃げたことと同じだ」

「詭弁にもほどがあるぜ」

 確かに話が飛躍しすぎだ。

 晴れて全国大会に出場できても、山城中と戦えるとは限らない。

 こちらが負けなくても、あちらが途中で敗退する可能性もある。それにかなり低い確率ではあるが、山城中が県大会の予選を敗退する可能性も、まだあるのだ。あちらの方も明日が全国出場を決める県大会決勝である。最強といえど中学生だ。何が起きるかはわからない。

 明日の決勝に出場しないのは、難波から逃げたことと同じ、というのはどうにも苦しい。

 だが――、とコロは思い直す。

 成は普段、こんな無茶苦茶な理屈を口にする男ではない。

 どちらかというと、そういう類を諌める側に立つ「キャラ」である。

 そうこれは――

「勝負だ、飛鳥井。俺が勝ったらサッカー部に戻れ」

 煽っているのだ。

「はあ? 勝負って、またそれかよ? なんでそうなるんだ?」

 重ね重ねのムチャクチャに、飛鳥井は雨空を仰いだ。「また」とは、前回成が挑み完敗した、無謀な勝負をさしている。

「お前、明日大事な決勝だろう? ケガしたらどうすんだ。だいたい、俺たち何でびしょ濡れでこんなとこにいるんだよ。俺もカゼひきたくないから、もう帰るぜ」

「逃げるのか?」

 コロから足を離し背を向けた相手に、成が叫んだ。

「俺からも逃げるのかって言ってるんだよ、飛鳥井!」

 眉間にシワを寄せ、飛鳥井は成に向き直る。

「ワザと無茶苦茶言ってんのは分かってるぜ。けど流石に頭にきた。それにノッてやるよ、藤原!」

 所在無く雨に打たれていたコロを、再び足元に収め飛鳥井は言った。

「けどどうするんだ? この雨でこの足元じゃ、まともにドリブルもできないぜ。まさか殴り合うわけにはいかないし――」

「蹴鞠でいい」

「は?」

「お前が難波から逃げた、蹴鞠でいいよ。サッカーボールでもできるだろう? ルールを説明してくれ」

 無謀である。

 その上さらに挑発を重ねている。

「随分な物言いだな。それに藤原、おまえ、ちょっとなめすぎだぜ。蹴鞠の方は物心つく前からやらされてんだ。敗けたあと、初心者だからやっぱ無し、ってのは聞かないぜ?」

「そっちこそ、敗けた後、初心者だから手を抜いたってのは無しだ」

 何を言っても引かない成に呆れ、仕方なく飛鳥井はルールの説明を始めた。

 といっても純粋な蹴鞠のルールではない。

 1対1で競うための、あくまで臨時のルールだ。サッカーボールを使い、よく兄とやっていたらしい。

 ボールを蹴り上げ落とさない。

 シンプルに言ってしまえばそれだけだ。

 リフティングは何度行ってもよいが、ヘッドは使ってはならない。頭に烏帽子をかぶって行う競技だから、当然といえる。

 そして相手に蹴り上げる際は、ボールに最低五メートル以上の高度を持たせなければならない。

 つまりシュートや低空のパスといった直線的な軌道をもつものは蹴ることは許されず、山形のもののみ許されるということだ。そして高い分にはどれほど高くとも構わない。

 走って追いつかなければならないような場所に蹴ることは不可であり、必ず相手の半径3メートル程のエリアにボールをコントロールしなければならない。

 つまり、ボールを落とすか明後日の方角に蹴り上げる、もしくは低い弾道で蹴ってしまえば、負けである。

「ルールっていっても、こんなところだ。ほんとはめちゃくちゃ細かくあるけど、今はいいだろう。サッカーの基礎練でも、似たようなことはやるよな? ま、セパタクロー(サッカーバレー)みたいなもんだ。ダラダラやっても仕方ないから、一本取った方が勝ち、――それでいいな?」

「構わない。そっちが負けたら、明日の試合に出る。それもいいな?」

「まったく、強情だな」

 ふー、と息をつき、仕方ないというように飛鳥井は首を横に振る。

「それでいい。大事な試合を前に、自信を失くすなよ?」  

 そう言うや否や、飛鳥井はコロを勢いよく上空に蹴り上げた。