コロ!! 第五章2話

コロ(小説)

 『1-0』

「強い強い! このままじゃ、勝負が決まるのも時間の問題ね。行け行けー!」

 ピッチ上空で観戦している天照が、無邪気に声をあげている。

 試合は前半15分、――前後半あわせて60分の中学サッカーでは、試合時間の4分の1が過ぎたところだ。

 成の見事なミドルシュートで1点をもぎ取り、その後も秋菊イレブンはほぼ一方的に攻め立てている。

 ボール支配率もシュート数も、こちらが完全に上である。天照の言う通り、もう2、3点奪い勝利するのも時間の問題といえた。

 コロの方は、成に宿り、すぐさまボールに宿りと目まぐるしいことこの上ない。

 成に微力ではあるがサッカーの加護を与えるためにも、はたまたコロ自身がサッカーを楽しむためにも、このスタンスがベストである。というか、主に後者がその理由だ。

 もちろんボールを操作するのはご法度であり、そもそもそんなことはできはしない。

「ねえねえ、この八雲中って弱いの?」

 あちらこちらと、フィールド上を忙しなく動き回るコロを気遣うことなど当然なく、天照は平気な顔で話しかける。

「試合中にあんまり話しかけないでよね、まったくもう」

 ムクれながらもコロは説明してやることにした。試合が優勢なので、コロも機嫌が良いのだ。

「八雲中学は弱くないさ。地区予選優勝は当たり前、県大会ではベスト16に入るほどだよ。トーナメントの組み合わせが発表された時は、皆頭をかかえていたさ。だけどね、この半年間、彼らは本当に頑張ったんだ。徹底的に基礎を磨き、そのうえで考えた。考えに考えて考えた。そして考えることから解放された。――お、さあチャンスだよ、見てご覧」

 喋っている間も、当然試合は動く。

 後方にいるDFの護がパスカットを決め、前方へロングフィードを飛ばす。

 その球速を見事なトラップで成は殺し、一歩で相手DFを置き去りにする。

「あれが理想的なファーストコントロールだ。地味とこき下ろされたこの技術も、このように高いレベルで運用できれば、ワンタッチで相手を抜き去ってしまえる強力な武器になる。そして――」

 成はペナルティエリア内、右足でシュートを打つ、――と見せかけて軸足である左足の裏にボールを通し、左方向に切り返した。

 クライフターンだ。

 これにはコロも驚いた。先ほどロッカールームで思ったように、まさか実践でできるとは考えていなかった。

クライフターン自体はそれほど難しい技術ではないとはいえ、試合中効果的に使うのはかなり高度な技術と判断力を要するからだ。

 カバーに来たDFも、先ほど抜き去られ追いすがって来た別のDFをも再び交わし、フリーになった味方へショートパスをだす。

 あとはそのボールを受け取った味方FWと、キーパーの一対一だ。

 圧倒的優位な状況であるのに加え、成の今しがたのドリブルによってキーパーまでもバランスを崩している。そのうえポジショニングも悪い。

 あっという間もなく、コロリと転がすようなシュートが八雲中のゴールネットを揺らした。

 『2-0』

「ゴオオオオール!」

 天照とコロが、同時に歓喜の雄叫びをあげる。コロの方はボールに宿っているので、ゴールネットに絡まりながらである。

「やるじゃない、あの子! クライフターンでしょう、いまのやつ?」

 たしかに天照の言う通り、先ほど成が見せたのは紛れもなくクライフターンだ。

 だがコロには分かる。

あれは形を真似ただけのものではない。ロングフィードからワンタッチ、しかもトップスピードの中でのクライフターンである。

 しかし、真に驚くべきはそこではない。成の一瞬の判断力こそ、驚愕に値する。

 トラップで相手を抜き去った後、シュートするという選択肢もあった。すぐにパスをするという選択も、またあった。それら自体は悪くない。正解といってもよいだろう。

 しかし成はDF二人とキーパー、そして味方のFWの位置を見て取り、さらにゴールの確率が高いであろう状況を自ら作り上げたのだ。

 DFを二枚引きつけゴール前に味方の為のスペースを作り、さらにシュートフェイントでもあるクライフターンでゴールキーパの体勢まで崩す。その時点でゴール前は、味方以外ほぼ無人といってよい。あとはそこにいる味方にボールを転がせば、確実に近い確率で点が取れる。それをコンマ数秒の世界で選択し、明確に意図して実行することは、並大抵では無い。

 あの数秒間、成はピッチの上を支配していたといっても、過言ではないだろう。

 コロとの夢トレで、様々な状況に瞬時対応できるよう自問自答する訓練を続けてきた。とはいえここまでの成果をあげるとは思わなかったし、思えない。

「ねえねえ、あの子、もう飛鳥井を超えたんじゃない? その飛鳥井は今日もいないようだけど、もういらないわ。やっぱり見る目があったわね、私」

 であるならば、見る目があったのは天照ではなくコロのほうだ。

 だが実際には、飛鳥井に成はまだまだ及ばない。コロにはそれがわかってしまう。

 しかしコロすら驚くようなプレイを、時折この少年は見せるのだ。

 サッカーボールの神にすら窺い知れない才能を、成は持っているのだろうか。それとも自分が未熟なだけなのだろうか。

 そんな問答を繰り返している間に、前半終了の笛が鳴った。

 2点リードでの折り返しは、上々の出来といえるだろう。

 ハーフタイムの10分間に、また神々の諍いが起こるのではとコロは気を揉んだのだが、結局何も起こらなかった。

 だが、相手チームについているスサノオはあの気性だ。劣勢に立たされて、ただ黙っているとは思えない。

 後半も中学生らしいサッカーができますように――、そう祈りながらコロは後半戦開始の笛を聞いた。

 相手FWがセンターサークルからボールを蹴り出し、自陣内でボールを回す。

 その間に、FW・MF(ミッドフィルダー)が展開し、反撃の機を窺う。先ほどとは打って変わって、その動きはどこかクレバーでコンパクトだ。

 前半とは何かが違う――、コロも成も、不気味な静けさを放つ八雲中の試合運びに、不穏なものを感じ取っていた。

 後半開始2分、相手ボランチにボールが入った瞬間、まるでカチリと見えないスイッチが入ったかの様に、それは突如開始された。

 隣り合うMFからまた隣り合うFWへと高速のパスが通り、また元のボランチへ――、高度なパス交換が何度も繰り返される。

 成たちも練習時に行うロンド(鬼役をおいたパス回しの練習)が、まるで試合中に行われているかのようだ。

 相手選手同士で構成されるコンパクトなトライアングルを、ボールが凄まじい速さでくるくる回る。それが隣り合うトライアングルへ、そしてまたその隣へとボールが伝達されていき、いつしかフィールド全体でロンドが行われていた。そのパスのほとんどがダイレクト、もしくはワントラップで回される。

 追いすがるものを嘲笑うかのようなそのパスワークに、成達のフォーメーションが歪に形を変えていく。

 守備が後手後手に回ると、誰かがカバーに走らなければならない。

 それを繰り返されると、要所要所で人数差が生まれてしまう。

 サッカーとは、突き詰めればシュート可能なエリア内で人数差を生み出して、如何にフリーでボールを持つかという競技である。

 鋭く切り込むドリブルや、トップ選手が見せるキラーパスと呼ばれるような芸術的なそれは、その人数差を瞬時かつ派手に生みだすからこそ賞賛され、観客は熱狂するのだ。

 選手間で形成されたトライアングルをコンパクトに回すパスサッカーは、前述のようなものの派手さこそないが、成功すれば非常に強力な効果をもつ。

 トントントンとボールが回され、それをゴール前で相手FWが受け取った時、カバーに回れる選手は最早誰も残っていなかった。

 バイタルエリア(得点に繋がりやすい活動が起こる地帯。ゴール前を指す)で完全にフリーで放たれたシュートを防ぐことは、いかな名キーパーでも難しい。

 勢いよく蹴られたシュートは一瞬のうちにゴールラインを割り、ネットを揺らす。

 『2-1』

 八雲中のゴールである。

「何やってんのよ!」

 前半のリードに気を良くしていた天照が、瞬間湯沸かし器の如く沸騰する。

「ボケっと相手のパスを眺めてるんじゃあないわよ。あのDF、護っていったっけ? 何が「護」よ忌々しい。看板に偽りありじゃないの。クビよ、クビ!」

 護は優秀なCB(センターバック。ゴール前を守るDFを更に分類する名称)である。

 DFラインを統率し、その上背と体格を生かし、ゴール前の空中戦も制する、秋菊中の守護神だ。前半最後に見せたロングフィードのように、しっかり攻めにも貢献する。

 しかしサッカーを知らないものからすれば今の一連のプレーを見て、天照のような感想を持つ者もいるだろう。

 サッカーという競技は、点を取られてしまう側は得てして愚かに見えてしまうものである。

 だがプレイする彼らはヘルプのヘルプのそのまたヘルプに奔走しているのだ。決して天照の言うように、ボケっと眺めていたわけではない。

 DFが点を取ることはあまりない。そして失点すれば非難を受ける。

 重要かつ不可欠なポジションだというのに、褒められることより責められることの方が多い、因果なポジションであるといえる。

「くそっ、やられた!」

 護がグラウンドの土を蹴る。

 DFにとって、点を取られることは最大の屈辱なのだ。

 だが護はすぐにDF陣で集まって、失点を重ねないよう短い打ち合わせを始めた。切り替えの早さも、彼の魅力だとコロは思う。

 八雲中の面々を見ると彼らはすでに自陣に戻り、淡々と守備位置についていた。

 そういえばシュートを決めたFWは喜びもせず、彼に駆け寄る味方もいなかったように思う。喜んでいたのはCBの二人とキーパーくらいだ。

 前半八雲中は、リードされながらも闘志溢れるプレーをしていたはずなのに、後半は一転してクレバーだ。サッカースタイルを切り替えてきたから故なのか、人格すらも切り変わったかのようだ。

 成が自陣内にボールを蹴り出し、再びプレーが再開する。

 今度はこちらがパスワークで、八雲中を切り崩しにかかる。

 ロンドなら、秋菊中も成の指示で嫌という程練習しているのだ。

 鍛え上げられたトラップと正確なパスで、こちらも相手に捕られることなくボールを回せている。

「ふふん、スサノオのチーム、守備はからっきしダメねえ。きっとさっきの得点もマグレだったのよ。ほら、さっさとあと10点くらい取りなさいな」

 そう天照が気を吐いた。

「いや――」

 だがコロの見解は違う。成もどこかでそれを感じ取っている。

 これは、罠だ。

 その証拠に、ボールの動きが自然とは言い難い程片側に寄っている。

 八雲中は、全員で互いのスペースをカバーしあい流動的に動き、まるで一個の生物のように機能的に守りを固め、牙を研いでいるのだ。

 相手が網にかかるまで――。

 ふいに一瞬「不自然に」空いたスペースに、秋菊FWが走り込み、そこにMFからパスが通った。

 チャンスである、と見えても不思議では無い。むしろそう思うことが当然であるといえるだろう。

 前がかりだったSB(サイドバック。サイドのDF。攻撃にも参加する)が駆け上がり、一気に攻勢に出、このチャンスを得点に結びつける。

 そのはずだった――。

 だがSBにでたそのパスは、見事なまでにカットされたのだ。

 SBを起点にするこちらの攻撃は、今日幾度か見せている。明らかに誘われ、狙われていたのだ。

「カウンター!」

 そう叫んだのは敵か味方か、あるいはその両方か。

 八雲中の高速のパスが、右サイドラインすれすれを、相手SB、MF、FWへと、一気に駆け上がる。

 秋菊中のSBが守るべきポジションにボールが運ばれたが、彼は未だ、遠く相手コートにいる。勿論全力で走って戻っているのだが、到底間に合うものではない。

 ゴール前中央にいなければならない筈の護だが、この場合、横にスライドしてSBのポジションへとカバーに入る。

 SBや他の者が戻るまで、あと5秒ほどだろうか。

 なんとしても時間を稼ぐことが、護に課せられた命題だ。

 だがカウンターの最中、5秒という時間は絶望的なほどに長い。

 護がサイドに移動することにより空いたスペースは、別のDFがスライドして埋める。そうすることでまた空いたスペースは、もう一人のDFがまたスライドして埋める。

 全員でカバーすることで、スペースと呼ばれる穴を埋める。

 だがどうだろう。

 突貫工事には無理がでる。

 結果、逆サイドには広大なスペースが生まれていた。

 人数差とはこういうことである。

 カバーにカバーを重ねていれば、どこかに綻びが生まれてしまうのだ。

 攻撃に参加していた味方MFも、まだ戻れていない。

 護の頭上をボールが通り過ぎ、逆サイドに走り込んだ八雲中の選手へと、パーフェクトなセンタリングが上がる。

 『2-2』

 電光石火のカウンターであった。

 八雲中FWの、まるで当てただけのようなヘディングシュートが決まり、試合は振り出しに戻ってしまったのだ。

「がはははは! みたか俺様の攻撃を!」

 試合開始後からとんと姿を見せなかったスサノオが、突如ピッチ上空に現れた。

 有頂天の赤髪マッチョ男は、両腕の力こぶをこれでもかと言わんばかりに怒張させ、ボディビルダーが見せるようなポーズを無意味にキメている。

 同点に追いついても無表情な八雲中イレブンとは、まるで対照的なうかれようだ。

「前半は手を抜いてやったのだ。姉ちゃんたちをいい気にさせるためになあ。みたか、俺様の天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の威力を! もう姉ちゃんなんか、ボッコボコよお!」

 スサノオは自慢げに、その手に持った剣を見せつける。

 まばゆく輝くその美しさは、その刀身に、膨大な神力を秘めたることを雄弁に語っている。

 だがいかな名刀といえど、剣とサッカーの間にはこれっぽっちも接点がない。

 コロが首を傾げていると、解説おじさんこと思兼命が、その説明を始めてくれた。

「天叢雲剣は、かつてスサノオ様がヤマタノオロチを退治した際、その体から取り出した宝剣です。草薙の剣とも呼ばれ、三種の神器の一つでございます。八つの頭を持つ龍であるヤマタノオロチの、魔力の源であったとも云われておりますな」

「八つの頭を持つ龍……」

 コロの中で、何かが符合する。

 そういえば、CBの二人とキーパーは、特に動きに変化が無かったように思う。

 後半から動きを変えたのは、FW二人、MF四人、SB二人、の計八人だ。

 その八人が、まるで一つの生物のように連動していた。

 ということは――。

「ひょっとして、その剣で八雲中の選手を操っていたってことなのかい?」

「いかにもいかにも、その通りだ、タマコロよ!」

 ぐはははは、とスサノオは豪快に笑う。

「八雲中の下僕達は、ヤマタノオロチの頭の如く連動して動くのだ。正に一心同体というやつよ。そしてこの天叢雲剣は、クーちゃんとの愛の証! 愛の力で俺様は勝つ!」

 気色悪く、そのうえ頭の悪い言葉に、コロはなんだか目眩をおぼえる。

「ヤマタノオロチ討伐で、スサノオ様はクシナダヒメ様を娶ることができました。神話に現代の倫理観は通用しませんからな」

 思兼がため息をつき、そうぼやく。この執事も、二人の婚姻には思うところがあるのだろう。当然といえば当然である。

「中学生を操るなんて、そんなことが許されると思っているの?」

 スサノオの非道を訴えたのはコロ、――ではなく、非道の化身こと天照大神である。

 成を殺すと宣うその口で何を言うか、とコロは呆れてしまうのだが、今は味方だ。黙っているほうが懸命だろう。

「そんなこと、姉ちゃんにだけは言われたくねえなあ。そっちは思兼のじいさんに、タマッコロまでいるじゃねえか。サッカーボールの神がいるたあ、反則どころのさわぎじゃねえ。それに、姉ちゃんのせいで、何回この世が滅びかけてると思うんだ? 中学生にちょろっとサッカーの指導をするなんざ、かわいいもんだろうよ」

「な、なんですって!」

 反則扱いされるとは、コロも心外である。

 だが言った言葉の後半は、正論といえば正論でもある。

 この単細胞に見える弟から、よもやこのような正論ともいえるセリフが飛び出すとは。

「もう勘弁ならないわ」

 天照が顔を真っ赤にして、怒りに任せ喚き散らす。

「そこまで言うならこちらも黙っていないわよ。あんたみたいなアンポンタンでも、一応は弟。さすがに内緒にしてやってたけど、あんたが高天原で昔やったこと、全部ばらしてやるわ。あんたが一番聞かれたくない相手、そう、最愛のクッシーにね!」

「んなな、やめろお!」

「クッシー、よくお聞きなさい」

 行儀よく観客席で見学しているクシナダヒメが、「なんですか?」と首を傾げる。

「あんたの旦那スサノオは、聖なる天界「高天原」を出禁になったの。一体なぜだと思う?」

「止めて――」

「この馬鹿はねえ――」

「頼む――」

「私の神殿のど真ん中で――」

「止めてくれえ」

「ウンコしたのよ! 山のようなね!」

 こーんなに、と天照は体全体を使ってその巨大さを強調する。

 バラされてしまったスサノオも、それを聞いてしまったクシナダヒメとコロも、嫌なものを想像して悲鳴をあげる。思兼命もハンカチーフで口元を覆っている。

この赤髪タンクトップマッチョ男の「それ」など、考えたくもないのである。

「しかもあろうことか――」

 天照の口撃は、さらに熱を帯びていく。

「うちで可愛がってた馬を殺し、皮を剥いで神殿に投げ入れたのよ。うちのメイドなんて、そのショックで死んじゃったのよ」

「な、なんでまたそんな意味不明なことを?」

 コロは理解不能な蛮行の理由を思兼に尋ねるが、老執事はため息まじりに首を振る。

「神話において、意味など考えればきりがありません。神々とは神にすら理解不能な存在なのです。因みに、先ほどお話しした、初めて姫が引きこもることになった事件、――その原因がこれです」

 なんと迷惑な姉弟であろう。一体全体、日本神話はどうなっているのか。

「スー君、今の話は本当?」

 ゴゴゴゴゴ、という地響きを背景に、クシナダヒメが愚かな夫に問いかける。

 表情に天女の笑みはすでになく、怒りによるものなのか、その双眸はほとんど白目の状態である。

「あうあうあう」と口をパクパクさせるスサノオから、彼女は確信を得たのだろう。

「最低!」

 そう叫ぶやいなや、クシナダヒメは巨大な櫛(クシ)の姿に変化した。

 その櫛はスサノオに突進し、無数の歯が隆々とした筋肉をものともせず、ブスリと突き刺さり、なんとそのまま貫通する。

「ぎゃああああ!」

 なんと恐ろしい櫛であろう。まるで残忍なスプラッターショーである。

 だが天照は、こんなに面白いものが他にあるかとばかりに大口を開けて笑っている。実の弟の悲劇をここまで笑える姉が、他にいるだろうか。

 ズブリと嫌な音を立て、櫛は哀れな弟から引き抜かれ、クシナダヒメは元の人の形に変化した。

 純白のはずの着物は返り血を浴び、そのほとんどが朱に染まっており、美しい顔もまた例外ではない。

「可愛い」と「鮮血」が合わさると、かくも恐ろしいものが生まれるということを、コロは目の当たりにしてガタガタと震えた。

「あなたなんか、もう知りませんから!」

 血塗られた女神は、そう吐き捨てると、正に神速のスピートで空の彼方に消えていった。

「ク、クーちゃん、待ってえ!」

 スサノオから流れ落ちる血は、まるで滝のようである。人間であれば、何度死んでも死に足らない失血量といえるだろう。

 だがこのタンクトップ男は、自身の身に空いた無数の穴のことよりも、クシナダヒメに嫌われることの方が問題らしい。

 止血など微塵もするそぶりなく、スサノオもまたクシナダヒメを追いかけ空へと消えていった。

「勝った! 勝ったわ! ざまあみろ!」

 勝利とは、いったい何なのだろうか。

 ただまあとりあえずは厄介者を退けたのだ、よしとしよう。

 ピッチに意識を戻すと、いつの間にか両校大騒ぎで、試合は一時中止していた。

 地震が起きたと思ったら、朱色の雨が降ったのである。

 一体どんな天変地異が起きたのかと、審判や両校顧問がネット情報を確認するも、特にさしたる情報がない。

 皆一様に首を傾げていたが、とりあえず試合は再開された。

 八雲中の選手の表情を観察すると、彼らはすでに先程のように無表情ではない。

 皆突然のハプニングに驚きつつも、再び試合に集中しようと頑張っている、ひたむきな中学生の顔であった。

「このまま逆転するぞ!」

 と、相手のトップ下(FWのポジションの一つ)の選手が声を張り上げる。

 スサノオがいなくなり、天叢雲剣による効果はすでにないようだ。

 つまりここからは、ガチンコの勝負である。

 そしてそうなれば、自力で勝るこちらに分があった。

 『4-2』

 終わってみれば2点の差をつけ、秋菊中学校の勝利と相なった。

 前半1点、後半2点と、4点のうち3点は成によるものである。おまけに1アシストとなれば大活躍どころではない。

 名実ともに、成は秋菊中のキャプテンであり、エースといえるだろう。

「ハットトリックに1アシスト。チームは無事に初戦突破。上々の滑り出しだというのに、どうも顔色がすぐれませんな、コロ様?」

 白髪の老執事が、こちらへ顔をむける。

 白と黒の模様しかないコロに、顔色もへったくれもない。だが会心の勝利にいつものように浮かれないコロの様子が不思議なのだろう。

「さっき、あのスサノオに言われたことが気になって……」

「スサノオ様に? はて……」

 サッカーボールの神がいるのは反則――、スサノオはそう言った。

 あの言葉が、コロの心に小骨のように刺さっているのだ。

「ボクったら、反則なのかしら」

 もしそうであるならば、コロにサッカーボールの神を名乗る資格はない。スポーツの神である以上、スポーツマンシップに反する行為を犯すわけにはいかないのだ。

「おやまあ、そんなことはありませんよ、胡炉玉命(コロタマノミコト)様」

 久しぶりにフルネームを呼ばれ、そういえば自分はそんな名前だったと思い出す。

 彼が正式名称を口にしたのは、今から言うことは嘘やおだてでない真実だということを、言外に示しているのだろう。

「まずスサノオ様の行為は、確かに「反則」です。といっても、あのお方を諌める法はありませんし、断行されれば止められません。あれほどまで高位の神を縛る法は存在しないうえ、仮にあったとしても破られるのです。ですが神界の倫理に照らせば「反則」です。宝具を使い子供を意のままに操るなど、許されることではありません。ましてや理由が姉弟喧嘩です。まったくもって嘆かわしい」

 珍しくこの優しい執事が怒っている。

「しかしコロ様は、藤原成に宿っています。宿ったものに加護を与えるは、神の本分といえましょう。なんら気にすることはありません」

「でも、他の選手に不公平なんじゃ?」

「いいえ、不公平ではありません。以前申し上げた通り、神に好かれるというのも才能の一つ。神を魅了し惹きつけ宿られるのも、その者の努力の結果かもしれません。コロ様が藤原少年に出会った時、彼がそれまでサッカーに対する努力を怠っていたとすれば、果たして貴方は彼に宿ったでしょうか?」

「たしかにそう言われるとそうかも……」

「コロ様が彼の体を操ったり、ボールを操作したりすれば別ですが、幸いにもそんな力はありません。それにほら、あそこを見てご覧なさい」

 指先は八雲中の選手の一人を指している。

「相手のチームで、一番走力の高かった選手だと思います。ほら、彼の足元に何か飛んでいるでしょう? あれは精霊です。以前藤原スポーツ店でご説明したかと思います。彼はあの精霊達に好かれている。あのうちの一羽が、神に昇格することもありえます。もしそうなっていれば、彼らはもう少し手強かったかもしれません。秋菊中学の生徒では、DFの護という少年。彼も最近の成長が著しく、なにかしらの精霊が時折ふらふら引き寄せられている様子を見かけました。神も、彼を元服したとみなすでしょう。彼のことを気に入った何かしらの神が、彼に宿ることもまた大いにありえます。スポーツに有用な神であれば、ラッキーというものですな」

「そっか。神や精霊は、いろんなところにいるんだもんね」

「いかにも。皆に平等にチャンスがあり、しかし公平には宿らない。これは仕方がないことなのです。生まれ落ちたその時から、皆が公平に能力を持っているわけではない。それはスポーツも勉学も同じです。しかし神や精霊は見ています。スポーツが得意でなくても、勉学が得意でなくても、何か輝くものがないか、日夜静かに観察しています。間がな隙がな何かに励めば、必ず答える神はいます。――おっと、熱くなって、話がそれましたな」

 説明に力が入りすぎたことに気付き、思兼は燕尾服の襟を正す。

「ゴホン、とにかく、コロ様が熱を上げて藤原少年を育てることは、神としてまったく問題ございません。お気になさらず励まれますよう」

 気付けば、刺さっていたはずの小骨は、どこかに消えてしまっていた。

 心の中のもやが晴れた。

 考えてみれば、あのいかれた筋肉男のセリフに、頭を悩ます必要などどこにもなかったのだ。

「お疲れ様。それと、やったね、成!」  コロは改めて、成の大活躍と初戦突破の喜びを噛み締めた。