コロ!! 第四章 3話

コロ(小説)

4-3

「ちょっと、何よこれ。ラグビーの試合じゃないんだから」

 思兼命が鳴らす長い笛の音が、試合終了を告げていた。

 贅沢にも程があるほどの美しく巨大なビジョンモニターには、絶望的な力の差が表示されている。

 18−0

 それが前後半、合わせて60分間の、この試合の記録である。

「弱い、弱すぎるわ、この子達。正直最初は嘲笑ってたけれど、途中からイライラして仕方なかったわ。ポンポンポンポン点を取られちゃって。私が用意した相手が強いというよりも、この子達があまりに弱すぎるのよ。これじゃあ当初の予定通り、飛鳥井にあんたをつけていたとしても、怪しいものだわ。なにがサッカーボールの神よ。図々しいったらありゃしない。フンコロよフンコロ。あんたはこれから、フンコロの神として生きなさいな。手続きはしておいてあげるわ」

 いつにも増して言いたい放題の天照の言葉を、コロは黙って聞いている。

 普通の人間であれば、黙ってさえいればついつい語気を緩めてしまいそうなものなのだが、この灼熱の神は決してそんなタマではない。

「だいたいなんなのよ、あっちのボランチ(※ 守備的ミッドフィルダーのポジションの一つ)の難波って子は。めちゃくちゃ上手いじゃない。聞けばU-15日本代表の「顔」だっていうじゃないの。エリート中のエリートだって。高天原(たかまがはら)のスカウトチームはどこを見てたのよ? 最初からフンコロの相手は難波にしとけばよかったじゃない。日本代表を見落とすなんて、馬鹿じゃないの? まったくもう、このアホコロ、バカコロ」

 卑称で呼ぶと同時に、バシバシとはたかれる。

 それはコロの責任ではないし、ひいては大事な人選を他の神任せにした天照のせいなのだが、言っても今はムダだろう。勿論今でなくても、未来永劫きっとムダだ。

 仕方がないので、取り成してくれそうな思兼を探す。

 だが、見れば思兼は、落ち込みへたり込む護の肩を抱き、「お前達は精一杯やった! 泣くな!」と叫びながら、自身もおいおいと号泣しているではないか。

 あの神様も、なんだかんだ情緒がおかしい。

 だが確かに――、とコロは、呆れながらも先ほどの天照の怒声を振り返る。

 確かに難波は逸材であった。

 その感触は、あの天才、飛鳥井雅に抱いたそれと、同レベルのものだった。

 この狭い日本にあれほどの才能が、同世代に二人もいる。

 それはサッカーにおいて十全であるコロにとって、驚きを禁じ得ないほどの、衝撃的な出来事だった。

 そんなコロの回顧など知るはずも、そして知っていたとしても気にとめるはずもなく、天照の批難は続く。

「柔軟性が大切? ええ、勿論そうでしょう。トラップが大切? ええ、ええ、勿論そうでしょうよ。フンコロ様のおっしゃる通りだったわよ。何故なら山城中学の面々は、そんなもの、小学生の時から持ち合わせてるような連中だったじゃないの。難波に至っては、生まれつきよ、生まれつき」

 性格が悪くても、天照は神である。流石によく見ている。ものの考え方は狂気のそれだとしても、個々の現状の能力を見誤るわけではない。腐りきっても神なのである。

「つまり、コロ様の指導は間違っていなかったということの、証左ではありませんか?」

 そう告げたのは審判を終え、今まで護と抱き合い号泣していた思兼だ。

 泣きはらした目は赤く腫れており、鼻をかみながら熱血レフェリーは言う。

「だからコロ様の心は、こんなにも高揚しているのでしょう?」

 そうなのだ。

 試合の結果は見ての通り、ボロ負けだ。

 秋菊中学の面々は、ゲームセットの後、疲労と絶望でピッチに倒れ込んでいる。

 だのに、どうだろう?

 この奇怪な臨時レフェリーのいう通り、コロの心は充実感でいっぱいなのだ。

 同じ思いを重ねているのはもう一人――、他でもない、コロと一心同体である、成だ。

 成も他の部員達と同じように、ピッチに倒れこみ、見果てぬ銀河を見つめている。

 爆ぜんばかりの心臓の音が、成にもコロにも等しく聴こえていた。

 他のチームメイト達は、自らのそれを絶望として聞いている。

 そしてそれを受け入れ、諦めている。

 だが成は違う。

 成の中心で跳ね打つもの。それは希望の鐘の音だった。

 俺たちは負けた、――ボロボロに。

 だけど繋がっている、あの頂きに。

 今、はっきりと道が見えた。

 そして、その頂きすら、通過点にしかすぎないことも。

「凄いよ、成は」

 成の心音を聴きながら、コロは気まぐれな太陽神に語りかける。

「成はこの試合中、真綿のように山城中学のサッカーを吸収していった。点を取られながらも心折れることなく相手を観察し、奮闘した。そして、これはボクにも不思議なんだけど……」

 コロは無いはずの手で、後頭部と思しき場所を掻きながら、疑問を口にする。

「まるで、「思い出す」かのように上手くなるんだ。普通なら、技術というものは、少しずつ修正を重ねて上達するよね? それはどんな天才でも変わらない。だけど成にはそれがないんだ。まるで「ああそういえば、忘れてた」といった感じで、突然一段階段を上る。終了間際に見せたプレイは見たね?」

 終了間際、成は今まで歯が立たなかったマークを遂に抜き去り、カバーに来た難波までをかわしたのだ。

「結果、ラストパスに面食らった味方がシュートミスしてしまったけれど、あれはよかった。でもあんな動きは見たことがない。教えてもいないし教えようもない。まるで体重も、蹴る音まで消えたような……。あれは一体――」

「おや、なんだか大切そうな話をしておりますよ」

「むむむ」と熟考しているコロに、思兼が呼びかける。

 気付けば、起き上がった成が、難波と何やら話しているではないか。

「ゲームが始まってみて、正直この練習試合はこちらにあまりメリットがないなと思ったんだ。失礼だけど、実際この点差だしね」

 難波が取り繕うことなく、成にはっきりそう告げる。

「だけど藤原、君の最後の動きには驚いた。二人がかりで行ったのに、見事にやられたからね。正直ショックだ。まるでクライフとジダンが混ざったような……。悪いけど、録画を見返して、こちらでも参考にさせてもらう」

 難波のその言葉に、成は目を白黒させる。先刻あれほどの動きをしていたU−15日本代表の筆頭が、たった1プレーであれ、自分の動きを参考にするというのだ。

 彼の真っ直ぐな瞳が、それが世辞や社交辞令でないことを語っている。

「いや、偶然だよ。俺も夢中だったし、よく覚えてないんだよなあ。それに参考にさせてもらうのは、こっちの方というか……。特に難波の動きは最初から最後まで、全部参考にさせてもらうというか……」

 日本代表のスタメンにああ言われては、成もモジモジするしかない。

「このスコア程の差は、僕たちにはない。途中から、君だけはそれに気づいていたね? そして注意深く観察していた」

 難波の言葉に、成は頷く。

「最初は、こいつらどんなバケモノなんだ、って思ったさ。ポンポン点が取られたからね。トラップは抜群に上手いし、特に難波は足にボンドでもついてんのかと思った。でも身体能力がそこまで違うわけじゃない。まあ確かにみんなめちゃくちゃ上手いけど、ここまでの差はない。じゃあ一体なんだろう、って思ったんだ」

「何だと思った?」

 挑むように、難波が尋ねる。

「山城中は全員上手い。でもそういう技術以上に、山城の選手の動きは、全部意味があるんだな。何気ないポジション取りから顔の向き、パスひとつに至るまで、全てに何らかの意味がある。そしてそれを、常に自分たちの中で反芻してる。大差で勝っていてもだ。俺たちがやってたのは球蹴りで、そっちのはスペースを奪い合う、本当のサッカーだった」

「その通り、と言ったら嫌味かな? でも、本当にそう思うよ。僕らは私立だから、宗教の概念が少し取り入れられててね。常に自問自答することを徹底される。そしてそれは、一心同体であるべき部員同士でも共有されるんだ。今の動き、その意味は? といった具合でね。体を動かす時間より、話し合っている時間が長い日もあるくらいだよ。そうするとサッカーの本質、スペースと人数差というところにたどり着くんだと思う。偉そうな物言いで申し訳ないけれど、それを知った君たちがどういうチームになるか、非常に興味がある。しかし、よく試合中にそれに気付けたね?」

「ああ、実はその自問自答とかそういうの、全部最近習ったことばっかりなんだよなあ。駄目だよなあ、ちゃんとしなきゃ」

「へえ、いい顧問の先生がいるんだね?」

「あ、いや、誰に習ったんだったかな。サッカー雑誌か何かで読んだのか……」

 二人のやりとりを聞いていたコロは、内心胸を張る。それを教えたのはもちろんコロなのだ。

 ふふん、今日の夢トレでは、「己に問うこと」その意味を、もう一度みっちり仕込んでやろう。前回助言を蔑ろにした罰というものだ。

「じゃあ、次は全中で会おう、藤原」

 難波は成に右手を差し出す。

 山城中学は東北にある。天照がまたこんな無茶をしない限り、対戦することがあるとすれば、全国中学サッカー大会で、ということになる。正直、コロも半年やそこらで、難波達に勝てるようになるとは思わない。だが天照との約束は、あくまで全中出場だ。それさえ叶えば、全国の舞台で山城中相手に、華々しく散ってもよいではないか。

「ああ、必ず」

 成は希望に燃えている。大差で負けた相手に気後れすることなく、力強く難波の手を握った。

「あ、そうだ、藤原――」

 去り際に、難波がこう言い残した。

「雅に、伝えといてくれないか? 「次は逃げるな」って」

「飛鳥井に? 別にあいつは今日、逃げたわけじゃ……」

 この試合が嫌で、飛鳥井がここにいないわけではない。そもそも、今日ここで山城中学と闘うことなど、誰も知らなかったのだ。ましてや場所に至っては、天界にある高天原である。それを察知して逃げるなど、人の身では不可能だ。

「違う違う」

 難波は、笑いながらかぶりを振る。

「俺の家と雅の家は、少し変わった家系でね。年に数回関西の方で集まって、ちょっとした行事をやるんだ。逃げるなっていうのは、それのこと。ま、とにかく難波宗(なんばそう)がそう言ってたって伝えてくれれば、あいつは分かるよ」

「じゃあ」と手を振り、難波宗率いる山城中学の面々は、ピッチを去っていった。

「ああ、必ず、――って、バカじゃないの、まったくもう。18–0よ、18–0。こんなんで全中なんか出れるわけないじゃない。ノセられちゃってさ。この凡人は、全中出場など果たせずに死んじゃうっていうのにね」

 天照が、白目を剥きながら首を切る仕草を見せ、とんでもない発言をする。

「なな、なんてことを言うんだ! 成はきっと、トーナメントを突破するさ。それに、これだけ一緒に成を見てきて、情っていうものが湧かないのかい? まだ成を殺そうとするなんて、どんな性格してるんだよ」

「情けは人の為ならず、っていうでしょう? それに、性格って点では、あの難波ってのも、いい性格してるわね。絶対今頃、帰りのバスの中で笑ってんのよ。ボロ負けしたヘタクソが、全中行くって息巻いてたぞー、ってね」

「カップ焼きそばの麺のごとくねじ曲がった性格の君と、彼を一緒にするんじゃない。難波宗はそのプレイ通りの、まっすぐで気持ちのいい選手だったさ。僕にはわかるさ」

 試合中のボールにコロは憑依していたのだ。サッカーを通して触れ合った相手のことは、だいたい分かる。

「僕にはわかるって、それ、アンタいつも言ってるじゃないの。いい、バカコロ? スポーツは結果が全て。大差で負けたアンタが何を言っても、説得力がないのよ」

「ぐむむむ」

 そう言われてしまっては、返す言葉もない。結果がすべて、――これはスポーツにおいて、一つの真理である。

「一週間――」

 それでもコロは、なんとか声を絞り出す。

「一週間で、成もこのチームも、成長させてみせる。僕の全てをかけて!」