4-2
「練習試合?」
天照の突拍子もない発言に、コロは呆れた声をあげる。
「やれやれ、あのですねえ、天照大神様? 急に練習試合と言ったって、すぐにできるわけじゃあないんですよ。付き合いのある相手の学校に連絡して、日取りを決めて、学校の許可を得て、グラウンドの使用許可を得て、やっとそれが取り付けられるんだ。大体今日は大雨じゃ――」
しかし、コロの抗議を無視して天照が柏手をうつと、瞬時に周りの景色が一変した。
「なんじゃこりゃああ!」
コロが叫び声をあげるのも無理はない。
瞬き一つすらする間もなく、秋菊中学校敷地内の雨練をしていた渡り廊下は瞬時に霧散し、そのかわりに、きらびやかに輝く巨大なサッカースタジアムのピッチが、目の前に出現した。そして自分は、そのピッチの中心にいるではないか。

コロだけでなくもちろん成も、そして成のチームメイト達も、入念に手入れされたであろう美しい青い芝生の上にいる。
「ふふん、驚いたかしら? あんたの疑問なんか手に取るように分かるから、先に教えといてあげる。というわけで、爺、よろしく」
教えてあげるとのたまいながら、結局は思兼命任せらしい。
仕える主人を間違えたに違いない、頭脳明晰な老執事によると次の通り。
ここは天照達神々の暮らす高天原(たかまがはら)にある、アマテラススタジアム。
贅を尽くした天然芝生の全天候型サッカー場で、コロ含め雨練中の秋菊中学サッカー部員達は、余すことなくここに瞬間移動された。
成や部員達には、すでに記憶の調整がなされており、ここにいることを彼ら自身が不思議に思うことはない。同様に、秋菊中学校のサッカー部以外の人間にもそれが施され、突然サッカー部が消えたことで、神隠しだと騒ぐ人間はいない。
本物の神隠しとはそれが起こった事実すら知覚され得ないのだという、いい見本のようなものだ。
勿論先ほど降っていた雨はなく、空にはこの世のものとは思えない、図鑑でしか見られないような幾千もの銀河が星雲となり光輝いている。
まあとにかく、細々したことは心配するだけムダ、ということだった。
初めて踏む最上級の芝生にはしゃぎはしたものの、たしかに、秋菊中学サッカー部員達はなんの疑念も抱いた様子はなく、キャプテンである成の号令の元、すでにウォームアップを開始している。
「俺たちの代、最初の試合だ! 燃えるぜ!」
DFの護が檄を飛ばしている。
「おっと、対戦相手を用意しなくちゃ。それポンポンっと」
天照がその手を打ち鳴らし、またしてもデタラメなその神力で、瞬時にして別のチームをアマテラススタジアムに呼び寄せた。
呼び寄せられた中学生達も、先に来た成達のチームと似たような反応をみせ、はしゃぎながらも当たり前のようにウォームアップを開始する。
何となく相手チームのジャージに書かれた学校名を見て、コロは、ないはずの目玉がとびだしそうになった。
「山城って、もしかしてあの山城中学なのかい?」
彼らのジャージその背面には、「山城」の二文字が、それを誇るかのように大きく記されている。
「あの山城が、どの山城かは知らないけれど、去年の全国中学サッカー大会優勝校の、山城中学校であることは確かね」
「因みに一昨年、更に一昨々年(さきおととし)も優勝しておりますな」
「更にその前年もだよ! まったくもう!」
思兼の注釈など聞くまでもなく、その輝かしい戦歴は知っている。コロはサッカーにおいては十全なのだ。
スポーツにおいて、なかでもサッカーにおいて最強の、中高一貫校、山城中学。
直近の全国中学校サッカー大会では、前人未到の4連覇を達成している。
「よりによって、なんでそんなバケモノみたいな学校を連れて来るんだよう!」
全国でもトップレベルの学校を、ぶつけられてはかなわない。秋菊中学は、あくまで「全中にでれたらいいな」と夢見ているレベルなのだ。それどころか、県大会の準々決勝ですら、夢のまた夢の力量である。
だのにユースチームのトップと互角に渡り合うような中学との対決など、結果は火を見るより明らかだ。
「あんたが自身満々だったから、それに見合うチームを見繕ってあげたのよ。あっ、ほら見て!」
気付けば、成が相手のキャプテンと挨拶を交わしている。
「秋菊中学の藤原です。今日はよろしくお願いします」
「山城中学の難波です。よろしくお願いします」

「え? 山城中学?」
練習試合を行う際の、形式通りの挨拶を交わしながら、コロが先ほど受けたものと同じ衝撃を、今度は成が受けていた。
中学サッカーを志すもので、山城中学の名前を知らない者はいない。
つまり成からすれば、目指すべき山の頂点に立つ者が、突如下山し現れたに等しいのだ。
しかしまあ、挨拶するまで互いに対戦校を知らないなど、おかしいにもほどがある。だが、今はそれがまかり通るらしい。
「秋菊中学って……、もしかして埼玉県にある秋菊中学?」
「ええっ? うちのことなんて、知ってるの?」
なんと目の前の強豪校のキャプテンは、こちらのことを知っているようだ。こちらがあちらを知っているのは当然だが、その逆は考え難い。秋菊中学校で全国レベルといえるものは、サッカー部以外を見渡しても皆無である。ごく平凡な、普通の公立中学なのだ。
「いや、親戚の通ってる学校が、秋菊ってとこなんだ。サッカー部なんだけど、今日いないかな? 飛鳥井雅(あすかいみやび)ってやつ……」
「飛鳥井――?」
突如現れたその名前に、成の心が更に揺れていることが、コロに伝わってくる。
目の前の相手校のキャプテン難波は、間違いなく強者であろう。
そしてその難波の親戚が、あの飛鳥井――。

何かが成の中で符合する。こじつけに近い確信が、成の思考を瞬く間に支配する。
そこに飛鳥井のサッカーを結びつけずにはいられない。
あの見惚れるような足さばきの、理由にせずにはいられない。
自分と飛鳥井の実力差の理由にせずには、あの雨空の下での敗北の理由にせずにはいられないのだ。
そして同時にそんな自分を恥じる。
そんな考え方は、目の前の相手に、闘う前から背を見せているようなものだ。そして難波に対しても、飛鳥井に対しても失礼だ。
強豪校の難波の親戚だからあの日は負けました、とでもいうのか? 飛鳥井の親戚だから、これから臨む試合に負けてもしょうがないと、逃げ道をつくるのか?
まだ、キックオフの笛すら鳴っていないというのに!
コロはそんな成の内に巻き起こる慟哭を、黙って受け止める。
「あ、飛鳥井は、今日はいない……」
成は、難波の問いに、かろうじてそう答えた。
「今日は、か……。そっか、折角のチャンスだったのにな。じゃあよろしく」
相手チームの状況を、試合前に詳しく聞くのも失礼だと思ったのだろう。
難波はそれ以上尋ねることなく、チームメイト達の方へと戻って行った。
成が秋菊中の面々に相手の素性を伝えると、ベンチは蜂の巣をつついた騒ぎになった。
「全国を知る機会だ、やってやろうぜ! これは逆にチャンスってもんだ。ゴールはGK(ゴールキーパー)と俺たちDF(ディフェンダー)陣で必ず護る。成、お前はバンバン点を取ってこい。 頼むぜ、キャプテン!」
檄を飛ばしたのは、ムードメーカーの護だ。

この少年もまた、得難い存在だと、コロは思う。
お調子者のようで、実はしっかり全体を観ている。
最強の呼び声高い山城中学の名に気後れするチームメイトの心情を察し、一早く立て直しを図っている。キャプテンの成をたてることも忘れない。後方からゲームを俯瞰し、ポジショニングをコーチングしなくてはならないCB(センターバック)に、うってつけのハートを兼ね備えている。
そして成は、そんな護の気遣いを汲み取り、パワーに変える強さと優しさがある。
先ほどの迷いは、すでに消えているようだ。
ピッ、と笛が鳴り、両チームセンターサークルに整列する。
「両チーム、高天原(たかまがはら)にふさわしい試合を、――礼!」
勇ましい声音でそう告げる主審の顔を見てみると、なんと思兼命である。

「なな、なにやってんですか! 審判なんてできるんですか、思兼命様?」
コロの声に、黒ベースのレフェリーウェアに身を包んだ思兼が、笛を片手にウインクを飛ばす。心配するな、ということらしい。
「タカマガハラってなんだ?」という声が、両チームから漏れ聞こえてくる。
しかし、これほどレフェリーウェアが似合わない男も珍しい。はっきり言って、絶望的とすらいえるだろう。というより、神である彼の姿が中学生達の目に見えていても、構わないのだろうか?
だが思兼は、そんなこんなを露ほども気にするそぶりなく、老人とは思えない軽やかなバックステップで、両手を挙げセンターサークルを離れる。
「キックオフ!」
もう一度笛が鳴り、秋菊中学対山城中学の、闘いの火蓋が切って落とされた。
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