コロ第10章

ギター飯

「なんという劇的な幕切れ! 素晴らしい、素晴らしい! これが中学生の試合でしょうか? 私田中、感動しました。何か神がかったものを見た気がするのは、私だけではないでしょう。大きな力をもらった気がするのは、視聴者の皆様も同じだと思います。私、決めました。前からこの仕事について、悩んでいたんです。へらへら「すごーい」と言ってるだけでいいのかなって。でも決めました、私田中、アナウンサーを辞めます! サッカージャーナリストになって、あの子達を一生追いかけます。さようなら!」

 会場は試合中にも増して地響きをあげており、興奮冷めやらぬ田中アナウンサーが、カメラに向かい、泣きながら何事か喚いている。いや、彼女だけでなく、周りのカメラマンやスタッフまで涙を流しているではないか。

 会場は、興奮の坩堝と化していた。

 天上、神々で構成されるオーケストラ団は、楽器を三味線や太鼓に持ち換え、よさこい音頭の様な景気のよい音楽に切り替えた。

 その音は、会場のスピーカーを通じ人間たちにも聞こえているようで、20万人が「よいさよいさ」と踊り出す。

 イザナギもイザナミも、実は勝負などどうでもよかったのか、それともそんなことはすでに忘れてしまったのか、楽しそうに踊っている。

 スサノオの方もやっと捕縛を解かれたのだろう、クシナダヒメに手を引かれ、でれでれと不格好な動きで、辛うじて踊りと思われる動きを見せる。

 万を越す他の神々も酒を楽しみながら、様々な奇跡を披露しアマテラススタジアムを華やかに彩っている。

 勝ったのだ――。

 コロはやっと実感する。

 ゴールに飛び込んでから数分のことは、ロクに覚えていない。

 だが挨拶を終え、泣きじゃくる護を囲む成達を見て、やっとこれが夢ではないのだと思うことができた。

 会場の特大ビジョンには「平成31年度、さいたま県代表、秋菊中学校」と大きく表示されている。

「やりましたな――」

 隣に佇む思兼が、会場を見渡しながら呟いた。

 彼は正に世界を背負い闘っていたのだ。感動も一入(ひとしお)というものだろう。

「成の命は、助かったんですよね、思兼様?」

 コロは一応聞いておく。確約が欲しいのだ。

「ええ、今確認が取れたところです。秋菊中学の全国中学サッカー大会出場により、藤原成に施された死亡プログラムは、自動的に消去されました」

「やったあ!」

 コロはポーンと飛び上がる。

 これで成の命を救えたのだ。

 ずっとずっと一緒にいれる。

「そのうえ世界までも救ったんですね? すごい、成とボクったら、救世主になっちゃった!」

 興奮で跳ね上がりが収まらない。

 いや、いいではないか。今日だけはずっとこうして飛び跳ねていよう。そして今宵の夢の中では、成と二人で祝勝会を盛大に行おうではないか。

「それは、まだ分かりません」

「へ?」

 コロは芝生の上へとずっこける。

 それじゃあ話が違うというものだろう。

「まだ分からないのです。何故なら7月10日はまだ終わっていません。過去一万回、何の前触れもなく世界は終わりました。まるで決められていたかのようにです。今日が無事明日を迎えるまで、楽観できません」

「そんな、だってさっき――」

「確かに私は先ほどコロ様に、勝てば確実に世界は救われる、そうとしか思えない――、そう申し上げました。しかし一万回も終末を見てきたからでしょうか、次もまたそうなる気がして、仕方ないのです……」

「大丈夫ですって! さっき思兼様も言ったでしょう? これは神話の一ページだって。こんなにたくさんの神々と人間が一緒に踊るなんて、確かに神話でしかありえない」

 成達秋菊メンバーも、サポーターに応えるように一緒に踊る。限界を越えて盛り上がっていた会場が、更にその限界を越えていく。

「仮に今日を終えられ7月11日を迎えられても、7月12日は無いかもしれない。平成を無事切り抜けられるとは限らないのです」

 初めて見る弱気な思兼命の姿に、コロはかける言葉が見つからない。

 そう簡単に喜べるほど、彼にかけられた呪縛は容易いものではないのだろう。

「折角の勝利に水を差して申し訳ありません。いけませんな、悲観的になるほど無駄なことはない。私はここまでのことを、他の元号担当の私に報告します。コロ様は皆様とお楽しみください」

 思兼は燕尾服の懐からスマートフォンを取り出し、コロに背を向け電話をかける。

 その背中に当然喜びはない。

 そんな様子を見せられて、こちらだけ楽しむなどできるわけがない。

「もしもし、こちら平成の思兼。試合が無事終了したので、定時連絡を――、は?」

 スマホを耳に押し当てながら、突然老執事は首を傾げる。

「そちらが平成の思兼だと? いや、平成担当は私だ。そちらは昭和だろう? は? 画面を見ろ? おめでとう? 何を言って……、あ、おい、切るな、切るんじゃ――」

 冷静なはずの思兼が、明らかに狼狽している。

 どうやら過去の元号担当の自分と、意思疎通が上手くいっていないようだ。

 自分自身と上手くいかないなんて、不思議なこともあるものだ。

 いやそもそも、自分が複数いることの方が不思議かしら?

 そんなことを考えていると、その焦っていた思兼が、今度は突然動きを止め完全にフリーズした。

 その目は一点を見つめている。

 スマートフォンの画面に釘付けになっているのだ。

「おお……、なんということだ」

 彼は額をおさえ、やっとのことで何事か呻きをもらす。

「万葉集から引用とは、なかなかセンスがよい……」

 今度は意味不明の内容を独り言つ。

 もはやワケが分からない。

 遂に思兼命は発狂してしまったのだろうか?

 これほど時を彷徨えば、それも頷けるというものだろうか。

 コロが訝しみコロコロ転がる様に気づき、思兼はニコリと笑う。

「ご覧ください」

 そう言い、彼はスマートフォンの画面をコロに向け差し出す。

「あっ、ああ!」

 コロは驚愕の後叫び声を上げ、白黒の体を更に白黒させた。

 そこには、信じられないものが映っているのだ。

『令和元年7月10日』

 時間と日付を表示するスマートフォンの待受画面には、そう書かれている。

「こ、これって、元号が?」

「ええ、我々は既に次の元号、「令和」にいたのです」

「それってどういう――」

 質問しながら、コロは自身の中で鮮明になっていく知識に、自分で驚く。

 思い出すように記憶が補完されていく。

 生前退位――。

 4月1日、新元号「令和」公布――。

 5月1日、新元号「令和」施行――。

「ああっ、なんだこれ、なんだこれ?」

 官房長官が「令和」と書かれた額縁を掲げる映像まで、ばっちり「覚えて」いる。

 一緒にテレビを見ていた成と父親の宗道が、「令和かー」と同時に呟く様子までもだ。

「歴史に合わせて、記憶が上書きされているのでしょう。もっともそれを知覚できるのは、我々神だけです。彼ら人間は気づきもしないでしょう」

 もし人間の身にこれが起きたら、混乱は必至だ。

「でも、他のことも変わるんじゃないの? この試合の結果まで変わったらどうしよう!」

「その心配は無いようですよ」

 そう言い思兼が指差した先にあるのは、あの特大ビジョンだ。

 そこには「令和元年度、さいたま県代表、秋菊中学校」と表示されている。

 元号はいつの間にか令和に変わっているが、秋菊中学がさいたま県代表であることは変わっていない。

 成達の勝利は変わらないのだ。

「でもどうして? いつ? なんで?」

 無い頭をいくら捻っても分からない。

 変わるなら、この先の未来ではないのか?

「これは恐らくでしかないのですが――」

 前置きを入れ、説明お爺さんこと思兼が解説してくれる。

「私たちの存在するこの世界が令和に変わったのは、私が過去に電話した瞬間です。私が過去の思兼に試合の勝利を伝えたことにより、その過去は令和へ至る道筋をとった。そしてその未来である現在が変わったのでしょう。卵が先か、鶏が先かという話ですが、こういう時それを考えだすとキリがありません。あるがままを受け入れましょう。さて、我々がそれを知覚するのに数十秒のラグはありましたが、それは改変の大きさを物語っています。今まで存在しなかった筈の、全く別の未来が作られたのですから。それは勿論、ここ7月10日から先の未来も含みます」

「ってことは、世界は――」

「ええ、少なくとも平成の世は救われました。コロ様に腕があれば、ハイタッチしたい気持ちです」

「やった!」

 見たことがないほどの思兼命の満面の笑みを見、コロは今度こそ大きく飛び上がった。

 だがその歓喜のジャンプは、慣れ親しんだ嫌な衝撃により撃ち落とされた。

「うげえ」

 何度も受けたこの衝撃、この痛み、忘れられるものではない。

 間違いない、天照のビンタである。

 痛みにクラクラしながら衝撃の方向を見上げると、やはりやはり、天照大神が宙に浮かんでいた。

「よくぞ使命を果たしたわね、爺」

 相変わらず偉そうに、高いところから物を言う。

「なんでいちいちぶつんだよ、この――」

 禁句を言おうとして、思兼に口と思しきところを押さえられる。

 折角命拾いした可能性がある世界を、また危機に晒したくないということだろう。

 コロは仕方なく、言いたいことを我慢することにした。

「あんたもまあまあよくやったわよ、タマコロ」

 まあまあとは何事か、いちいち感に触る神である。

「して姫様、此度の事はやはりあなた様が?」

「その通り、私が正しい道を爺に模索させたのよ。見事やってみせたわね。「大儀であった!」ってやつよ、爺」

「勿体無いお言葉、恐悦至極にございます」

 思兼はうやうやしく膝をつく。そして天照は満足気である。

 だがコロの方は、もはや沸騰しそうである。

 思兼命がどれほどの苦労をしたかも、きっと知りもしないのだろう。

「いやー、すまなかったねえ、思兼君」

 コロが再び「がるる」と狂犬に戻ろうかというその時、イザナギとイザナミ、そしてスサノオとクシナダヒメも集まって来た。

 トラブルという名の核弾頭が、集結したに等しい。

「いや、ほんと娘が申し訳ないことをしたねえ。僕もさっき事が起こるまで知らなくてねえ」

 だがイザナギはといえば、随分と低姿勢だ。

「いえ、これも私の務めというもの、お気遣い感謝いたします」

「そうかい? そう言ってくれると気が楽なんだけどねえ。で思兼君、何回くらいこの世を周回したんだい? 三回? 四回? お給料は分割でいいかなあ? 君、結構高給取りだし、ちょっとここの所うちも苦しくてね」

「一万回だよ!」

 そう叫んだのはコロである。

「え?」

「一万回、思兼様は一万回周回したって言ってるんだよ、このバカ親父! ちなみにこれで1万と一回目だ!」

「い、一万回? う、嘘だよね、思兼君?」

 思兼は縦横どちらにも首を振らず目を閉じ、静かに笑う。嘘をつくわけにはいかないのだろう。

 その様子を見たその場の全員が、コロの言っていることが真実だと悟る。

「うわあ、むちゃくちゃするなよ姉ちゃん……」

「さすがに私もドン引きですわ、お姉さま……」

「アーちゃん、それは黄泉の国よりも地獄の沙汰よ?」

 スサノオもクシナダヒメも母親のイザナミも、げんなりといった様子で口々に非難の言葉を述べる。

 思兼は苦しいわけではないと言っていたが、やはり神の尺度に照らし合わせても、無茶苦茶な仕打ちだったのだ。

「し、知らないわよ。爺が成功したら私も思い出すようにプログラミングしたんだから、仕方ないじゃない」

「頭おかしいのか!」

 天照の言葉に怒った親族が、罵り合いを始める。

「い、一万回、で、645年から2019年までだから、ええと」

 イザナギの方はソロバンを弾きながら、思兼の労働時間の計算に必死である。

「1374年間だよ。かけるところの1万で1374万年。さらに思兼様は247人、いや令和も含めるなら248人いるから、かけるところの248で、ええと……、33億9378万年!」

「さんじゅうさんおくきゅうせんさんびゃくななじゅうはちまんねんっ!」

 ポロリとイザナギのソロバンが、芝の上に落ちた。

「さ、債券! 債券を発行するよ、それでどうだい? 値崩れしないよ、絶対。か、神様の保証つきっ!」

 そうすがるイザナギに、思兼は微笑み首を振る。

「何も必要ありません。今、私は充実感で一杯なのです。思うは唯一つ、令和が素晴らしい時代になり、また無事次の元号を迎えられること――、それを心より祈るのみにございます」

「そ、そうか! じゃあ今度飲みに行こう。勿論おごりだから、ね? ママには内緒の、若い子が一杯いるいい店知ってるんだから。だからね、くれぐれも労基なんかに駆け込んじゃだめだよ?」

 パンパンと調子よく功労者の肩を叩くイザナギを見て、コロは釈然としない思いである。

 だが、思兼の言葉に嘘偽りはないのだろう。

 彼に褒美など必要ないのだ。

 あのビジョンに映る「令和」の二文字以上に価値を持つものなど、彼にはないのだから。

 自分はとんだ脇役だったのだ、とコロは思う。

 本当の主役であり勇者であり救世主であったのは、目の前の老執事なのだ。

 彼が愛でるようにスマホの中の令和の文字を見る度に、コロは涙が溢れそうになってしまう。

 非常にしつこいようだが、涙腺も目玉もないのだけれど。

「うるさいわね、寄ってたかって私だけを責めて!」

 悪役である天照大神はというと、引き続き家族喧嘩の真っ最中である。

 怒りここに極まれりといった表情で、遂に最大ボルテージの叫びをあげた。

 何を言っても論破されてしまったのだろう。当たり前といえば当たり前すぎるのだが。

「私だって色々考えてるんだから、ひどいわ」

 そう言うなり、天照はポロポロと涙を流し泣き出してしまった。

 えーんと泣く様は子供のようであり、こうして見るとかわいいもんだとすら思えてくる。

 それが間違いだったのか――。

 日輪の神は泣きじゃくりながら、その右手をあげる。

「うわあ姉ちゃん、それは止めろ!」

 スサノオの叫びも虚しく、アマテラススタジアムに嫌という程降り注いでいた日光が、突然遮られる。

「なんだ、ゲリラ豪雨でもくるのか?」

 観客達が、突然の怪しい空模様にざわめき立つ。

 人間には曇天にしか見えないのであろう。

 だが、コロや他の神の目に映るものは、断じて雲などではない。

 その正体は天岩戸、別名天照の引きこもりセット――、世界を滅ぼす魔の浮遊物の姿だった。

 相変わらず馬鹿げた規模のそのサイズは、東京23区を悠に超えるほどの面積を持つ。

 思兼達の約34億年が、水泡に消える危機である。

「もう帰るんだから!」

 びえーんと泣きながら、天照は空に浮かんでいく。

「大変だよ、思兼様! 令和が2ヶ月で終わっちゃう!」

 コロはポンポン跳ね回りながら、傍の勇者に叫ぶ。

 だが救世主思兼命の表情は、意外なことに穏やかなままだった。

 折角救った世界がまた消えてしまうことが、怖くないのだろうか?

「なに、これほどの神々が、こんなにたくさんいるのです。まず大丈夫でしょう」

 そう言う思兼の視線の先を見れば、スサノオを筆頭に、力自慢であろう様々な神々が、天照を羽交い締めにしている。

 線の細い女性の神々は、何か詠唱のようなものと共に、その手の中に輝きを生み出し、高濃度のエネルギー体を放出する。

「以前お話しした通り、姫はお優しい方なのです。ここにきて、そこまでの無茶はされません。そして純粋な方です。折角訪れた令和の世、楽しまずにはいれないはずです」

「でもあれ……、大丈夫ですか?」

 満足気に目を閉じる思兼に、コロは疑念を投げかける。

 天照のパワーはよほど凄まじいものなのか、並み居る神々をものともせず、引きずりながらも進んでいくのだ。彼女目掛け飛んでいく閃光のようなものも、天照に接近するや何事もなかったかの様に搔き消える。

「む……」

 思兼の顔色が変わる。

 どうやら甘い夢から覚めた様だ。

「まさか神話がもう1ページ増えるとは……。これは、私も行かなければなりませんな」

 そう言い思兼はスマートフォンで何事か指示を出し、それを懐にしまう。

「コロ様、しばらくお会いすることはないかもしれません。ですが何も心配しておりません。あなたは見事、藤原成を未来へ導き、あなた様自身も更に成長していくでしょう。あなたは誠にサッカーボールの神でした。思兼一同、コロ様の勇往邁進を陰ながら見守っております」

 胸に手をあて執事らしくお辞儀した後、思兼は空へと飛び立って行った。

 まばゆい閃光と煙幕で、もはや様子は窺えないが、彼が駆けつければ大丈夫。

 何故ならば彼こそが真の勇者、「思慮を兼ね備えた神、思兼命」なのだから。

 コロは大きくうなずき成の方を見やる。

 ボクたちはまだまだこれからだ、とコロは思う。

 だけど君とならばどこまでも行ける。

 そして世界中に輝きを与えるんだ。

「ほら、あの太陽のように!」  

 見上げれば空を遮るものは既に何も無く、生きとし生けるもの全ての象徴である太陽が、燦燦と豊穣を与えていた。